自分の解釈ではあるが、
悟りと覚醒は、ともに自他(主観と客観)を超えた超越者の認識だが、
悟りには「安心立命」があり、覚醒(一瞥)には安心立命がない。
覚醒には、不安も迷ひも苦しみもある。要は自我が抜け落ちてゐない。
悟りは自我が抜け落ちてゐるのだらう。
自分の解釈ではあるが、
悟りと覚醒は、ともに自他(主観と客観)を超えた超越者の認識だが、
悟りには「安心立命」があり、覚醒(一瞥)には安心立命がない。
覚醒には、不安も迷ひも苦しみもある。要は自我が抜け落ちてゐない。
悟りは自我が抜け落ちてゐるのだらう。
いえいえ、どちらも何も「特別な」境地ではありませんよ。
当たり前のものが当たり前にある、という認識ですから、
誰もが本来、ソレに到達しているものです。
コメント、ありがとうございます。
「当たり前のものが当たり前にある、という認識」といふのはどういふ認識でしょうか?
「当たり前」とは?
そこに超越者の認識はあるのでせうか?
圧倒的な幸福感はあるのでせうか?
自我はなくなってゐるのでせうか?
よろしくお願いします。