梨岡京美さんは、2024年初頭の『岩戸開き 第10号』や「岩戸開きオンライン」の記事で、
『人類全体がふるいにかけられている』
戦争が繰り返し起こる。
『中東からふるいにかけられる』ことになる。
と言ってゐる。
まさに、今、中東でアメリア、イスラエルとイランとの戦争が始まった。
人類全体のふるいが始まった。
アメリカもイスラエルもふるいにかけられた。
アメリカもイスラエルも滅びるのだらうか。
梨岡京美さんは、2024年初頭の『岩戸開き 第10号』や「岩戸開きオンライン」の記事で、
『人類全体がふるいにかけられている』
戦争が繰り返し起こる。
『中東からふるいにかけられる』ことになる。
と言ってゐる。
まさに、今、中東でアメリア、イスラエルとイランとの戦争が始まった。
人類全体のふるいが始まった。
アメリカもイスラエルもふるいにかけられた。
アメリカもイスラエルも滅びるのだらうか。
『よひとやむみな』で穂乃子さんは、
「いよいよ大峠の時が来た。早く身魂を磨いておくれ。」
と語ってゐる。
大峠の時に、身魂を磨いておく必要があるといふことだが、これはだういふ意味なのだらう。
私の解釈では、大峠といふ相対世界の逆境に左右されない(怖れない)意識、心持ちを持つことであり、
そのことが身魂磨きを差してゐる。
別の箇所では、「意識の中心に神を祭りなさい」といふやうなことも語ってゐる。
神が意識の中心にあるとき、怖れの感情がない。怖れの感情を持ってゐること自体、
それは神の意識ではない証拠だ。
神が意識の中心にあるとき、大峠といふ相対世界の逆境に左右されない意識状態、心で
対応していくことができるのだ。
別の表現でいへば、怖れのない覚醒意識のことだ。
神が意識の中心にあること=怖れのない覚醒意識(相対を超えた超越意識)=身魂が磨かれてゐこと
といえる。
日本国憲法前文にはかうある。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
占領下にあったときに作られた憲法であるが、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
戦勝国のアメリカもソ連(ロシア)も中国も、戦争をしてゐて平和なんか愛してゐない。
「諸国民の公正と信義に信頼」なんかできない現状だ。
そんなものを信頼して決意するとは、笑ふしかない。
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」なんか、西洋諸国や他の一部の国を除いてはない。
日本国憲法前文は、現状にあってゐないので、改正すべき。
とふか、占領下で作られた憲法は独立国になった段階で廃止しその前の旧憲法を改正した憲法か新しい憲法を作るべき。
占領下で作られた憲法を守ってゐること自体、アメリカの占領下にあるのと同じである。
現にアメリカのいいなりだ。
現状、日本国はダメダメだ。
アメリカとイスラエルが、イランに戦争を仕掛けた。
強い者が力で支配する時代になった。そこには道理はない。
グルジェフは、戦争は星の影響で起こると言った。人間は機械で「為す」ことはできない、と。
(Kan.さんのグルジェフと同じく、戦争は星の影響だと前に言ってゐた)
トランプもナタニヤフも人間機械で星の影響で動いてゐるのだらう。
今、星の配置は結構、すごいことになってゐるらしい。
その影響をトランプもナタニヤフも受けてゐるのか。
(ナタニヤフはとっとと首相を辞めてほしいが。選挙で落選して)
しばらく、世界情勢は「力の支配」(力がものを言ふ、強い力のものが自分のやりたいやうにやる)の時代になるのかもしれない。
真に、愛と道理のある世界的な政治家が出るのを待つしかない。それまでは耐へるしかない。
大峠は始まりつつある。
覚醒することによって、内的煩悶を無くして生きていくこと。
悟りとは、苦しみがないことなのだと思ふ。苦悩がない状態。
覚醒すると、苦悩してゐる心がそのときは消える。
ただ、覚醒自体は悟りではない。苦悩する心に戻りやすい。安心立命もしない。
悟りとは、苦悩しないといふ決意なのか。
「怖れを手放す」といふと、意識として怖れを手放そう、手放そうとするが、まだそこに怖れがある。
「怖れを手放す」といふのは、怖れを手放そうとすることではなく、「怖れがない」といふこと。
微塵も怖れがない。
覚醒することによって、怖れが消える。
「明け渡し」も同じ。明け渡そうとすればするほど明け渡せない。全托して明け渡してゐる状態になること。
道を歩いてゐて、すれ違ふ人たちが悟ってゐるかだうかですが、ほとんどみんな(99.99999999999%)何らかの想ひに浸ってゐて、悟ってゐない(覚醒してゐない)。
目を見れば(表情を見れば)わかる。
ブログの入力をしやうと思ってたら、PHPの更新をするやうにとのメッセージが出てゐて更新したのだが、ついでに見栄へを変へやうと思っていろいろいじったのだが、背景色と本文の大きさは変へられたのだが、見出しの大きさは変へられなかった。
(なんでだらう。
このワードプレスの制約なのかな)
オリンピックは全然見ないのだが、ヤフーニュースで「りくりゅう」というのが出てゐて、なんのかなと思いテレビでその演技の録画を見たら、すごかった(笑)。
その演技は涙ものだった。
りゅうこと木原龍一選手は苦労人のやうで地道に練習を重ね、りくこと三浦璃来選手はポジティブな感じで全托の感じで、前日のミスを乗り越えて、神が宿るやうな演技を披露した。
何かすごいことが起こってゐるのかな。
作曲家はそれぞれの性格、精神性が現れる曲を作曲してゐる。
なかでもシベリウスは、気高い精神、人を崇高な思いへと導く曲を作曲してゐる。
フィンランディアしかり、アンダンテ・フェスティーヴォしかり。ほかにもヴァイオリン協奏曲等、名曲を作曲してゐるが。
アンダンテ・フェスティーヴォは、気持ちを高みへと持ち上げる。