怖れを手放し、

この2年くらい、赤字続きで経営も大変で(ずっと大変ではあったけれど)、怖れで生きてきたやうに思ふ。
そしてアルコール漬け。

「怖れを手放し、愛で生きる」といふことを説いてゐる本を数々出してゐながら、出してゐる本人が何も学べてゐない。

「手放し」のすすめ』を今度出すことになり、いよいよ自分でも怖れを手放す覚悟をして生きていかなくてはいけない。覚醒(=愛)で生き切らないといけない。まう後がない。

自分にとっては大峠が始まってゐる。

たいへん過ぎても怖れない。あがいても怖れない。

真我が運をひらく

中村天風さんは、真我が運をひらくと説く。『研心抄』『盛大なる人生』等

人間の本質は、肉体でも心でもなく、真我であり、真我は宇宙霊に通じ、真我の潜勢力が運をひらいていき、病が快方に向かい健康になるといふ。

中村天風さんの教へは、インド哲学のアートマンとブラフマンの教えと共通してゐる。

特長的なのは、「真我の潜勢力が運をひらく」といふところ。

覚醒意識になると、運がひらくらしい。

そのために天風さんはいろいろな手法を伝へてゐるが、究極は覚醒意識だ。

『「手放し」のすすめ』が面白い

久しぶりの投稿。

今月下旬に出す、デヴィッド・R・ホーキンズさんの最後の著作『「手放し」のすすめ』が面白い。

基本的に覚醒の本なのだが、低次の感情を手放していって、高次の感情に至り、最終的にはワンネスの意識で生きることを書いてゐる。

それぞれの事例も面白い。あらゆるセラピーを上げてゐるところは笑ってしまふ。

ホーキンズさんの事例も、他人のやうに書いてゐる。

願望も書いたら、手放して忘れるのがいいらしい。よく言はれてゐるけれど。
それの実例も出てゐる。

うちも本が売れず、赤字続きでだうしやうもない状態だが、この本にならって、黒字の目標を書き、手放すことにした(笑)。だうなるかは見ものだ。

不安や恐れはなかなか手放せないが、手放そうと努力してゐる。といふより覚醒してしまえば既に手放してゐるので覚醒だけでいい。覚醒=手放し、明け渡し。

地獄の国、中国

中国政府の言動といったら、呆れるくらい地に落ちてゐる。
それをわかっていて、頭のいい中国政府の連中が言ってゐるのだから、内実が知れる。

中国は、民主主義革命が起こらない限り、変はらない。地獄の国。
共産党独裁国家。

国民の中の大部分の人はいい人だと思ふ。
今までいろいろな中国人に接してきたけれど、みんないい人達だ。

中国共産党政府が地獄を作り出し、日本のみならずフィリピンや他の国々に迷惑といふか暴力を仕掛けてきてゐる。
最低の国。

中国のみならず、ロシアもイスラエル、他の人々の人権と自由を奪う国々のトップや体制の国は、地獄の国だ。

ロシアやイスラエルは民主制なのに、国民の意識レベルが低いのだらう。

神との対話ならぬ、神との対峙

久々の投稿。

神とは対話したことがない。
ただ、神とは常に対峙してゐるやうに思ふ。
「神よ、お助けください」「神よ、ありがとうございます」、常に神と対峙してゐる。

対峙してゐる神は、明らかでない(笑)。

万瞥(千瞥?数百瞥?)のうちに、世界はクリア(透明化)になっていく。

酔うと神との対峙が起こる(起こったりする)が、酔ってないとクリアな世界が開けてゆく。

相対界でいろいろなメソッドをしても、クリアな絶対界(相対を超えた世界)では、あまり意味がない。

相対界を超える?「虹の身体」も、だうなのか。なぜ気化するのか。

個人のある覚醒と個人のない覚醒

覚醒には、個人があるままで覚醒するのと、個人性が消えたままでの覚醒がある。
一瞥体験は、まだ個人が残っている。覚醒した瞬間は個人消えるが、すぐに個人に戻り、これは何なのだとなる。そして徐々に覚醒の間隔は薄れ、個人の生活に戻る。そして覚醒を追い求める。
でも、千瞥や万瞥をしていくうちに、個人性が消えたままの覚醒に切り替わる。個人性のないほうが主になり、時に個人性が出ても個人性のないほうに戻る。
ラマナ・マハルシやトニー・パーソンズあたりは、さうなのかな。