足の傷で病院に通院してゐるが、看護師のスキルはまちまち。包帯も適当に巻く(本人はがんばて巻いてゐる?)人が多い。あとでほつれたりする。
中には、きっちり巻いてくれる人もゐるがごく少数。
看護師のレベルは高くない。
(看護師は適当に思ふ)
これはどの会社にもあれはまるのかな。
多くの会社員は、レベルが高くないのかな、と。
ごく一部の会社員にレベルの高い人がゐるのかと。
足の傷で病院に通院してゐるが、看護師のスキルはまちまち。包帯も適当に巻く(本人はがんばて巻いてゐる?)人が多い。あとでほつれたりする。
中には、きっちり巻いてくれる人もゐるがごく少数。
看護師のレベルは高くない。
(看護師は適当に思ふ)
これはどの会社にもあれはまるのかな。
多くの会社員は、レベルが高くないのかな、と。
ごく一部の会社員にレベルの高い人がゐるのかと。
NHKの番組の、WBCの日本の栗山元監督とユニクロの柳井さんの対談を見た。
柳井さんの意見はごもっともと思った。経営者であればみんな同じ感想や意見だと思ふ。
連戦連敗。問題の連続。
AIが今後30年の未来の可能性を6つのパターンで示したNHKスペシャルの番組。
失われた30年について、原因は消費税だといふ持論を自分は言ってゐるが、消費税および税制について番組では何も言ってゐなかった。非常に残念。
また価値観についても何も言ってゐなかった。
スピリチュアルについての認識がどれだけ社会に浸透するかによって今後の30年は大きく変はると思ふがその要素に触れてゐない。
2024年元旦早々、能登で大地震が起き、大きな被害が出た。
被災者の方々にはお見舞いを申し上げるとともに、速やかな復興を願っています。
また他界された方々にはご冥福をお祈りします。
個人的にも元旦から熱が出て、ようやく今日落ち着いてきた(予断はゆるさないが)。
足の怪我の通院をしたり。
正月から(正月前から)いろいろ大変(苦笑)。
ロシアは正月早々、キーウにミサイル攻撃をするし。
2024年は、日本も世界も、個人も波乱の幕開けになってゐる。
2024年になった。
2、3年前に、いろいろな霊能者のビジョンをもとに2024年危機説を伝えた。
今では、2025年7月危機説が主流なのかもしれない。
今年からいろいろ始まっていくのだらうか。
短気は損気とはよく言ったもので、年末に短気を起こして足を切る怪我をしてしまった。
歩くのに不自由し、正月に帰省する予定だったのができなくなった。
不愉快なことへの想念への密着が原因だ。
覚醒は想念から離れることだが、それとは真逆だ。想念に絡めとられてゐる。
できるだけ不愉快な想念にとらわれないやうにしようと思ってゐたが、
酒の作用もあり、短気になってしまふ。
自分のホロスコープの第1室に火星があるのも、短気で破壊的な性格をもたらしてゐるのかもしれない。
親から叩かれて育ったので、反抗的な性格になったのかもしれない。
どのやうな不愉快なことを言はれようと、平然とできたら。
今年の目標の一つ。
あるひは、一生直らないのか。
グルジェフのいふやうに、人間は機械で、「為す」ことができない。
覚醒に励むことしか、短気は直らないのだらう。
酒を控えるのも、今年の目標の一つか・・・
グルジェフは、芸術を「主観芸術」と「客観芸術」にわけて説明してゐる。
主観的な芸術は、単なる機械的な再生品か、自然や他人の模倣か、幻想。
それらは、芸術家にしても鑑賞者にしてもどちらも主観的かつ偶発的なもの。
偶然の連想。
本当の芸術は、説明しえないもの、何かを内包している。
偶発的なものは何もない。数学だ。
グルジェフは上記のやうに説く。
数学といふと黄金比を連想する。
パルテノン神殿や、薬師寺の東塔は、黄金比で作られてゐるといふ。
以前、薬師寺の東塔の存在感に圧倒されたことがある。
グルジェフのいふ「説明しえない何かを内包している」。
音楽でも、バッハやベートーヴェンの音楽は何かの比率で構成されてゐるのだらうか。
数学者はバッハが好きと聞くが、何か共通するものがあるのか。数学的な構築があるのか。
時に、「客観芸術」と「覚醒芸術」との関わりを思ふことがある。
「覚醒芸術」とは「客観芸術」なのだらうか。
そもそも「覚醒芸術」とは何なのか。(「覚醒芸術」自体、私の造語ではあるが、笑)
覚醒をもたらす芸術。または、超越者・聖なるものが現れてゐるやうな芸術。
眠ってゐる人が、「覚醒芸術」に接すると目覚めるのだらうか。
すべての人が目覚めるわけではないだらうが、一部の人には亀裂をもたらし、
覚醒へと導くのだらうか。
薬師寺の東塔のやうに。
二元性の世界に、それを超えた何かを感じさせるもの。
黄金比建築は、なぜそれを可能にするのか。
数学とはそもそも何なのか。二元性を超えたイデアの世界のものなのか。
イエスは幸せだったのかな。
福音書の中でイエスが楽しそうにしてゐるシーンはない。
人間的なものを超えてゐるので、人間的な喜びはないのかもしれない。
常に真我と一体で、その中で生きてゐた。
あとは、、、役割を自覚してゐて、それに身を捧げて、幸せであるときがなかったのか・・・
テレパシーとは違ふのかもしれないが、自分の中で思ったことを相手が口にすることがよくある。
もしかしたら潜在意識(集合意識)の場があって、そこから浮き上がってくる思い(想念)を自分と相手が同時にキャッチして、どちらかが先に口を出すのかもしれない(相手が先に口を出すことが多いが)。
テレパシーの原理とは案外さういふものなのかもしれない。
違ふのかな。
肉体ごと、あるいは地球ごと、アセンションで五次元に移行すると言はれたりするが、三次元の肉体が五次元に移行することってあるのかな。
移行したら、もう肉体ではなくなってゐるのでは。
五次元では肉体ではありえないから。
五次元移行とは、そもそも肉体ではなく、意識の在り方が移行することでしかありえないのでは。
三次元(四次元)に嵌ってゐる意識から、それを超えた意識になることが五次元移行。
それは真我意識にほかならない。主客(三次元・四次元)を超えたところに真我認識がある。
五次元移行(アセンション)とは、真我意識の獲得のことである。
肉体は三次元のまま。
光の体・虹の体になるのは、肉体が変性していくのかもしれないが、肉体が変性しなくても五次元意識(真我認識)はある。
肉体は変性しなくて、ただ死んでいっても、五次元意識(真我認識)はあり続けるのかもしれない。
肉体の変性とは、ただ肉体が消えていくことなのかもしれない。
少し前のひところは(今も若干)、アセンションの絡みでアセンデッド・マスターが持てはやされた。
それも西洋や中東やチベット人のアセンデッド・マスターたち。
ブラバッキーがはしりか・・・
ニューエイジでいはれるアセンデッド・マスターは、チャネリングを通してメッセージを送ってくるが、そのどれが本物なのか・・・
大部分がうそくさいやうにも思へる。
(宇宙情報系もさうだが)
チベットのゾクチェン僧(非二元の僧)は、死ぬときに「虹の体」になってアセンションしていった。
それらは(この100年以内の)記録に残ってゐる。
彼らこそ、アセンデッド・マスターなのかもしれない。
虹の体になったゾクチェン僧は、チャネルを通してメッセージを送ってくるのか。
あまりさういふ話を聞かない。
仙道を通して白日昇天(=生きているときに肉体を消す)や尸解仙(しかいせん)(=死んだときに肉体が消える)でアセンションした記録はある。30数年前には島田明徳師のお師匠さんの陳驢春老師が白日昇天された。明治期の国安仙人は尸解仙(しかいせん)と言はれてゐる。
ゾクチェン僧と似てゐる禅僧は、「虹の体」にならない。何故だ?
まあ生きてゐるときに「虹の体」にならなくても、非二元の認識(真我の認識)を得ることは重要なことだ。
もうだいぶ年になってきたので、余計なことをせずに、真我の認識に専念したいものだ。
遊びは他の人に任せて。
天狗界では、8割が悪い天狗らしい。
人間界も同じやうな氣がする。
また、悪人に対して身近なところ以外は無力だ。
プーチンにしても金正恩に対しても習近平にしてもミャンマーの軍事政権にしてもアフリカの独裁政の国々や中南米のマフィアにしても自分は(われわれは)無力だ。
極悪人と悪人とエゴと保身の人と。
愛と感謝と謙遜の人々は少数。