照明体験

今日も酔ってゐるので、何を書いたか憶えてゐないと思ふが書いてみる。

イスラム教神秘派のスーフィでは、神秘体験を「照明体験」(イルミネーションの体験)と読んでゐる。
光に照らされるやうな体験。臨在(プレゼンス)を感じてゐるときの体験。
臨在とは、神の臨在。
超越者・普遍的な意識がまさにありありと感じられ、照明を浴びてゐるやうな感覚。
照らすそちらが本当のもので照らされてゐるこちらが・・・うまく表現できない。

だいぶ前に山川紘矢さんが何かの本に書かれてゐたな・・・。ご自身の照明体験を。

スーフィたちは、見えないが感知できる照明的存在との恋・愛に生きた。

病膏肓に入る

書かうと思って投稿一覧を見たら、既に昨日同じ内容のものを書き込みしてゐた。
すっかり書いたことを忘れてしまってゐる。

相当飲んでゐて書いたので、記憶がないのだらう。

そんなのばっかりかもしれない。

病膏肓に入ってゐる(苦)。

日頃の行ひが良いから

運が良い、とはよく言はれる言葉。

知人が、連日悪天候だったのに、行ったその日だけ晴れて、素晴らしい夕日と夜空の星々を見ることができたと言ってゐて、そのときのガイドさんが「今日のみなさんは日頃の行ひが良いから晴れました」と言っていたとか。

日頃の行ひが、運に作用するのか?

今日読んだ本にも、ゴミ拾ひやトイレ掃除が運を呼び寄せると書いてあった。
その著者は会社の前のゴミをいつも拾っていて、タバコの吸殻とかも拾ってゐるとのことだったが、タバコの吸殻もいつも銘柄や吸い残しの長さが決まっているそうで、捨てる人も同一人物で逆の習慣化がされてゐる(運を悪くしてゐる)と指摘してあった。

その本を読んだ直後、会社の建物に入るときにタバコの吸殻が捨ててあるのを発見した(わぉ)。
瞬間、どうしようかと思ったが人通りが多くて拾う勇気が出なかった(苦)。
あと戻りして拾おうと思ったら、掃除の人がいて玄関先をきれいしようとしているところだった。
であれば大丈夫かなと思って建物に入って会社のある部屋に入った。
で、会社の帰りにそこを通ったらまだタバコの吸殻がそのまま捨てられたままにあった。
ショック。
今からだと拾ってもゴミ箱にも捨てられず、放置して帰ってしまった・・・(苦)。

これでは日頃の行ひが良くない。

日頃の行ひが良くないと、ローマ帝国の皇帝でさへ暗殺されたり自死に追ひやられたりする。

人に任せるといふこと  プラス、スタピ63号の宣伝

またも霊能者から言はれたこと。
人に任せられない性格。

その前に、『スターピープル 63号』(6月7日発売号)が、amazonにアップされました。

今度の号は、宮澤賢治。日本のスターピープルの代表のやうな人。
宮沢賢治ファンは多いけれど、今回はスターピープル的な視点から取り上げてゐます。
なかなかスタッフ内で調整するのも大変でしたが(笑)。

第二特集は、心臓(肉体のハート)の特集。脳ミソ以上にすごい機能を持つ心臓についての特集です。

ほかにもいろいろ載っています。
森系もちょっと多いです。


僕は、人に任せるのが得意ではない。
共同で仕事をするのも得意ではなく、ほとんど決裂してしまふ。
会社を作っても決裂して、めんどくさくなって人にあげてしまふ。

また人に仕事を依頼しても、途中や最後に口を出して変更してもらったり、ひっくり返してしまったり、かなりひどいことをしてゐる。任せきれていない。仕事をしてゐる人もたまったものではない。
またひっくり返されるのかと。
本もさうだし、スタピもさうだ。あぁ。

でも、また「任せる」といふ課題が与えられた。
先日台湾に行ったときに見てもらった霊能者から、一つ会社を信頼できる人に任せたはうがいいと言はれた。

先日、誰かのメルマガに、一人で切り盛りするのは限界があり、売上も途中でとまってしまふ。
そこを越えるには、人に任せることを学ばなければならない、とあった。

経営面で信頼できて、能力もある人。さういふ人を見つけて登用し、任せることを学ばなければ。

人を見る目

1ヶ月くらい何も書いてゐない。
書くことがなかったのと書く余裕もなかった。

人を見る目がないと霊能者からよく言はれる。
よく言へばみんないい人に見えてしまふ。
悪く言へば人を見る目がない。

人を見るには二つの基準がある。
一つは、その人の性格のよしあし。エゴが強かったり、人の悪口を言ったり、嫉妬深かったり、怠惰だったり、愛に溢れてゐたり、公平に物事見れたり・・・
もう一つは、能力のあるなし。能力のない人に仕事を任せても、なかなか捗らないし、質のいいものができないし、挙句の果ての何の成果もない。そういう人に仕事を任せると大損する。
チームで仕事をしていくには、性格がよくて、その分野での能力のある人と組むのがいい。
さういふ人を選べばいいというのは当たり前だが、なかなかさういふ人は少ない。

さういふ人が少ないので、次善の策として性格がまあまあだったり、能力がまあまあという人にお願いしていく。さうしてゐるうちに人選する基準がゆるくなっていった(苦)。

今後はできない人は外して、適材適所に人を配置していきたいと思ってゐる。

今、塩野七生さんの『ローマ人の物語』の帝政の始まりから以降のところを読んでゐるが、
2代皇帝のティベリウスは、適材適所の人を配置し、それがローマ帝国の平和に貢献したやうだ。
ティベリウス自身は少し偏屈だったやうだが、人を見る目はしっかりしてゐた。