仙道の考察

仙道では、氣を練って「陽神(ようじん)」を作ることをメインとする。この場合の「神(しん)」は神様のことではなく意識のこと。陽なる意識。それと対になるのが「陰神(いんしん)」。「陰神を抜く」とは幽体離脱のこと。
陰神は、通常の(眠った)意識。それに対して陽神は、覚醒した意識。
「出神(しゅつじん)」とは、意識が体から抜け出ることだが、この場合「陽神」が体から抜け出る。
覚醒意識が肉体を超えた意識になるといふこと。
今までの仙道では、氣を練って陽氣に変え(練精化氣)、陽氣をさらに練って陽神に変える(練氣化神)と説き、その陽神(陽氣?)を頭頂から抜け出して、抜け出た陽神(陽氣?)に意識を移して、虚空?(霊界?)を歩ませ、安定化させたあと、肉体を消す作業をして白日昇天する(練神環虚)。
最後が、道そのものになる(環虚合道)。

ただ、氣を練っても陽神(覚醒意識)にはならないやうな氣がする。
覚醒意識は「見ることを見る」(対象を見ている自己を自覚する)ことによって得られる。
グルジェフ的には、精・氣・神は、動作センター・感情センター・思考センターに相当するのかもしれない。
それらを見ること見る(感じることを感じる)ことによって、覚醒意識(陽神)が生じる。
覚醒を続けることによって陽神が安定する。
覚醒意識は、相対世界を超えた意識なので、「出神」とは、相対世界を意識が超えるといふことになる。

相対世界を意識が超えてゐくと、やがて肉体は希薄化(霊化)するのだらうか? 仙道の「白日昇天」やゾクチェンの「虹の体」はそれを証明してゐるのか。

覚醒意識は相対世界(対象世界)を超えてゐるが故に科学の対象にはならないが、肉体が霊化していくメカニズムは科学の対象になり解明できるのか?

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