悟りと覚醒の違ひ

自分の解釈ではあるが、
悟りと覚醒は、ともに自他(主観と客観)を超えた超越者の認識だが、
悟りには「安心立命」があり、覚醒(一瞥)には安心立命がない。
覚醒には、不安も迷ひも苦しみもある。要は自我が抜け落ちてゐない。
悟りは自我が抜け落ちてゐるのだらう。

2 thoughts on “悟りと覚醒の違ひ”

  1. いえいえ、どちらも何も「特別な」境地ではありませんよ。
    当たり前のものが当たり前にある、という認識ですから、
    誰もが本来、ソレに到達しているものです。

    1. コメント、ありがとうございます。

      「当たり前のものが当たり前にある、という認識」といふのはどういふ認識でしょうか?
      「当たり前」とは?

      そこに超越者の認識はあるのでせうか?

      圧倒的な幸福感はあるのでせうか?

      自我はなくなってゐるのでせうか?

      よろしくお願いします。

松山秀司(秀峰) へ返信する コメントをキャンセル

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