なんなのか

結局、なんなのかわからない。
いったい、何をやってゐるのだらう。

『100年の孤独』といふ小説だったかななんだったかがあったが、138億年の孤独。
かたや超越者(根底者)を感じることによる幸せ喜び、かたや138億年の孤独。
なんなのだらう、すべての無意味感。
結局、この宇宙とはむなしいものなのか。
生きてむなしく、死んでむなしい。
生きる希望もなく、死ぬ希望もない。
永遠の牢獄か。
超越者も孤独なのか。

単にそのむなしさは、日々の挫折感が宇宙にまで広げてゐるに過ぎないのか。

3 thoughts on “なんなのか”

  1. HN: Schedar のモノローグ。

    無意味と思うなら無意味。意味があると思うなら意味がある。
    生きるも死ぬもここでのこと。肉体を脱ぐと「私」はまだつづく。
    だからほんとうは、どちらもあってどちらもない。
    むなしいと思うのなら、…それはここの世界とだけ結ぶ人間だから。
    ここの現実はここ固有のもの。人間の集合意識のたまもの。
    そして、集合意識を共有する中で二元極性化に傾くのが人間。
    だって人間がそれを望んできたのだから。それを手放したくない…と。

    希望は人間だから抱く。希望が無い、というのも。
    それらはこことだけ結んでいるからこそ抱く気持ち。
    ここでは時間が一定方向に流れる。だから未来がこことは別にある、と…ここの皆は信じている。
    時間の流れが途切れると、すべてが流動的になることさえある。過去も現在も、そして未来も。
    未来も過去も今ここの一瞬の中だから。一瞬は永遠。。。

    人間は牢獄の中。繭の中に入り閉じている。あるいは人間の枠という制限の中。そして隙間から外を垣間見る。
    人間という枷が外れれば…緩めば、その鎖から解放され牢獄から出ることになる。
    そうなれば、ここでの孤独は薄れ行く。
    なぜなら、次元宇宙を知り、それらとのつながりを感じられるから。
    それはひそやかなぬくもりとよろこび。愛はあまねくそこにある。

    かなしみはよろこび。くるしみはたのしみ。視点を移せば、そのことに気付く。
    私はそう感じそう思い、そして気づいた。知識ではなく体験から。

    1. Schedar様
      コメントありがとうございます。

      そうなのでしょうね。

      永遠の相から見たとき、自分とは宇宙とはなんなのかなと思って。

  2. 今井さま。
    私の長いコメント、ご迷惑でしたら削除してくださってかまいません。
    送信してからその長さに自分でびっくりしました。。。
    ただ内容は私自身の実体験から得ている実感ですので…あしからず。

Schedar へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です