超越意識とエゴの意識

非二元の超越意識(ヒルティの神のそば近くにゐる意識)とエゴの意識の間で揺れ動く。行き来する。
すぐにエゴの意識、妄想の意識になる。
そして不快感を表現する。

グルジェフは、「不快感の表現をやめること」を「不変の私」を作ってゆく上で大切なワークと言ってゐた。
非二元の超越意識状態のときは、不快感の表現をやめてゐる状態になる。幸せな感情に満たされ、すべてに対して愛とゆるしの状態になる。

その辺がワーク(修練)だな。
ヒルティのやうに常に神(超越者)のそば近くにゐやうとする努力。

「風の時代」と非二元

「風の時代」といふのは相対世界での出来事で、非二元とは関係ない。
二元の世界といふか、地水火風の四大元素の世界といふか。

色即是空(二元が即ち非二元)、空即是色(非二元が即ち二元)といふ関係性から見れば関係してゐなくもないが(笑)。

二元がなければ非二元を認識しえない。

地水火風のどのやうな状態や配合でも超越した覚醒意識でゐること。

刺激

辻麻里子氏が生きてゐた頃は、いろいろ話をして刺激があったな。

今、あのやうな刺激のある話をできる人はあんまりゐない。

今は刺激が足りない(笑)。

自分にとっては「風の時代」ではない

「風の時代」といふ言葉が流行ってゐるが(自分たちも流行らせてもゐるが(苦笑))、自分にとっては全然「風の時代」ではない。

わりと重苦しい。

「風の時代」に入った早々、緊急事態宣言が出され束縛され堅苦しい生活になった。
がっちがちで「風の時代」ではない。

人々の交流が出来にくいといふことは風が通ってゐないこと。

社会体制は「風の時代」でないが、心は「風の時代」か?
風が通るように軽い心の人はゐるのか?
少なくとも自分はさうではない。
仕事の重荷はどんどん増し、耄碌も増え、きつい。
「風の時代」ではなく「強風の時代」か(笑)。

人間は天体の運行に左右されるのか。

グルジェフ的には外部の影響に左右されるのは「不変の自己」ができていなくて、機械にすぎないといふ。
この世界を超越した意識で生きてゐるのであれば、「土の時代」だらうと「風の時代」だらうと関係ない。
「風の時代」もいずれ「水の時代」「火の時代」になり循環していくだけのこと。
何か良い時代になるといふことを意味してゐない。