個人の無さとプレゼンス

明けましておめでたうございます。

なぜ、明けるとめでたいのかな?

今の西洋暦の1月1日は、恣意的に作った日なので、季節のリズムや肉体的なリズムにもあってゐないのでは?
旧暦の1月1日も毎年違ってゐて、だうなのかなとも思ふ。
立春の2月4日を正月にしたほうがいいやうな。
立春の2月4日を1月1日にすると暦はだうなるのかな。
24節気暦になるのかな。
あるひは、古代ローマ人よろしく3月から新年にするか。

それは今のところさておき、
覚醒(ノンデュアリティ)の2大テーマ、それは「個人がなくなること」と「プレゼンス(臨在)」を感じること。
同じものの側面を表してゐるが、どちらを重点的に説くかは、ノンデュアリティ・ティーチャーの性格や体験による。
トニー・パーソンズ系だと「個人の無さ」がメインになるし、レナード・ジェイコブソンやルパート・スイパイラだと「プレゼンス(臨在・現存)」がメインになる。
本質的には同じなのだが、「個人の無さ」(無我)は禅的であり仏教的でもある。
「プレゼンス(臨在)」は、リアリティの感覚であり、他と共にあるといふ感覚とともに、神(超越者)がそこにあるといふ感覚だ。「愛は神であり、神は愛である」といふことを認識する世界。クリスト教神秘主義やイスラム教(スーフィ)的な世界。

プレゼンス(臨在)の感覚は重要だが、「個人の無さ」を説いてゐない人は本物ではないと思ふ。
個人は無いが、「I AM」(われ在り)は、そこにある。個人でない認識(知)がそこにある。

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