最近、やることなすことのほとんどが、咬み合はない。
すべてがずれてゐる。うまくいかない。
感覚的には何か違う時空間に放り込まれたやうだ。
全部、自分のせいだとひとから言はれた(苦)。
はたしてさうなのか。
違ふ感じがする。
脱却したい。
脱却する道を見つけたい。
それとも、あがいてゐるうちに脱却してしまってしまふのか・・・
時空間と人との交流の謎。
最近、やることなすことのほとんどが、咬み合はない。
すべてがずれてゐる。うまくいかない。
感覚的には何か違う時空間に放り込まれたやうだ。
全部、自分のせいだとひとから言はれた(苦)。
はたしてさうなのか。
違ふ感じがする。
脱却したい。
脱却する道を見つけたい。
それとも、あがいてゐるうちに脱却してしまってしまふのか・・・
時空間と人との交流の謎。
今、企画進行中の本の取材の中で、ちょっと表現は違ふけれど、高次元の光が流入する、というお話があった。
われわれは、この物質次元に閉じ込められてゐるわけではない、といふ。
普段、催眠に掛かって眠りについてゐるけれど、ある瞬間、高次元の光が流入する瞬間がある。
そのとき三次元(物質次元)のくびきから解放され、多次元的になる。
その高次の光は、良心ともよばれるものだ。
高次の光が入ったことによって、その人に葛藤が生じる。
また高次の光が入ったところで、いいことが起こるわけでもない。
しかし進化は起こる。
こんな表現で、その企画の本は表現しきれるものではなく、もっと包括的で具体的でもあるのだが、刊行を楽しみに! 今はヒミツです(笑)。うまくすれば12月刊行になります。
多くの人に高次元の光が流入してほしい。
神保町にある書泉グランデの4階の精神世界担当の高松さまより、このブログでも宣伝してと頼まれ、宣伝します!
今、
「未来のために必ず読んでおきたい本」ナチュラルスピリット僅少本フェア2016年秋
を開催してゐます!
みなさん、来てください!
書泉グランデといへば、精神世界、スピの間では、知らないとモグリだといはれるくらいのメッカ的書店だ。
僕の大学生の頃は、神保町の古本屋街や書泉グランデさんに毎日のやうにかよってゐた(懐かしいな)。
精神世界の本や哲学書等を探しまくってゐた。大学にも行かずに(苦)。授業も受けずに、自己探求(真理探究)の日々だった。それも青春だったか。
書店グランデさんばかり宣伝すると、他の書店さんからクレームがくるとわるいので、
紀伊國屋さん、ジュンク堂さん、有隣堂さん、啓文堂さん、三省堂さん、旭屋さん、リブロさん、弊社の本を置いてくださってゐる多くの書店様にも、みんな行かう!
(酔ってゐるので、変な書き方になるかもしれません。いつも変かもしれませんが)
「思ひが実現する」とよく言はれてゐますが、さうだとすると何でもOKの世界観になります。
かう思ったらかういふ世界になる、と思ひこんだら、さういふ行動をとって生きてゐくことでせう。
個人個人が自分の世界観で生きてゐる。
みんな別々の世界観で生きてゐる。
今、対面してゐる人は別の世界観で生きてゐるのだ。
その人に対してだう対処すればいいのか。
真っ暗闇で、真っ白く対処するしかない。
なべての人にさうするしかない。
科学的世界観とういふのは、一つの世界観であって、主観的な世界観からすれば、
ただの一つの世界観でしかない。物理法則も主観的な世界観からすれば、だうにでも
なるものなのだ。重力の法則も捻じ曲げられる。さうだとすれば科学の法則って
一体何?の世界だ。
1990年代までは波動が上がっていたが、2000年を過ぎてから地球の波動はどんどん下がり、今はもうだうしやうもない状態まで下がってゐといふ。人間のエゴと欲で、だうしやうもなくなってしまったやうだ。
スピリチュアルも両極で、エゴを伸張させる方向に行くか(願望実現等)、愛や覚醒を伸張させて行くか・・・
白魔術、黒魔術ならぬ、白スピリチュアル、黒スピリチュアルだ(笑)。
大部分が、灰色スピリチュアルかもしれないけれど。
「引き寄せの法則」もエゴを伸張させる方向に使はれやすい。
「引き寄せの法則」自体はエゴではないと思ふが。
地球の波動がだうしやうもなく下がってゐるのも、灰色から黒にかけてのスピリチュアルが多いからかもしれない。
地球の波動が上昇する手立てはないものか・・・
非二元で上昇も下降も同じく見るといふのもあるが。
でも悲しいな。
覚醒するとエゴが薄れるので、さういふ人がたくさん出ると地球の波動も少しは上がるのかな。
最近、何人かの人に会ったとき、サルタヒコ(とその神社)のことが話題に出た。サルタヒコ(猿田彦)大神は、道ひらきの神様だ。会社が厳しいこともあり、サルタヒコ神社に参拝せねば、といふ思ひにかられ、調べたら都内に3社。赤坂の日枝神社の境内に1社と杉並区に2社あった。わりとうちの近くだ。
東京都杉並区阿佐谷南1丁目1−38の猿田彦神社
と
東京都杉並区本天沼2丁目にある本天沼稲荷神社の
少し北のはうにある猿田彦神社
三社を参拝した(通り過ぎ参拝もあったけれど)。
写真も載せたかったが、夕方で暗くなったので写真は撮らなかった。
(暗くなってからの参拝といふのはよくないらしいが、朝が苦手で、うだうだしてゐると夕方になる)
ある霊能者に言はせるとすぐに効果は出ないと(苦)。
現世利益バリバリだ。
おすがり人生。
本よ、売れてくれ
WSよ、人がたくさん来てくれ
新たな商売も考へなくては。
HPもちょっとリニューアルする予定。
普段生活してゐる三次元(時空としてみれば四次元)は、意識の投影された世界。想念、観念で構築された世界。対象としての三次元・時空とそれを認識し包摂してゐる意識。その意識は三次元・時空(四次元)を超越してゐる。つまり五次元にゐる。その意識は、覚醒意識・悟り・非二元の意識とも呼ばれてゐる。
アセンションは、三次元から五次元に移行することと言はれてゐる。本当は既にみんな五次元にゐる。気づいてゐないだけで。
三次元と五次元の両方で生きてゐる。
線香による先祖供養をこの数年毎日のやうにいつもしてゐるのだが、知り合いの霊能者によると全然先祖に届いてゐないと言ふ。気持ちが伴はないと作用はしないらしい。
確かに僕は信仰心はない。
形だけだ。
形だけ先祖供養してゐるつもりでも内実が伴はなければ意味がないらしい。
全然、信仰心がない。
これも会社が厳しい理由の一つか。
経営コンサルタントで著書も多く出してゐる一倉定氏に言はせれると、社長は会社に居ては良くなくて、外に出てお客様まわりをしないといけない、と言ふ。
他の出版社の知り合いの社長は、外に出て他の会社と企画の打ち合わせをしたり、いろいろ営業してゐる。さすがだと思ふ。
僕は会社にも午後か夕方出勤だし、外に営業にも行かない典型的な穴熊社長だ。夜も飲みが多かったり、あまり仕事もしてゐなくて、これで社長が務まるのか、と突っ込まれると、務まらないと応へざるをえない。会社が厳しいのも当然といへば当然だ。
人前に出るのが超苦手で、話すのも超苦手だ。
ただフラフラしながら生きてゐる。
思ひつきで生きていて、漫然と生きてゐる。
どうせ死ぬし、みんな死んでいく、物事はその過程での出来事だ。
引き寄せは、うたかたの夢、覚醒にとらはれるのもまた夢。
さういへば、駅の階段で重い荷物で苦労してゐる年配の男性を見て、
打ち合わせで急いでゐるといふ理由で手助けをしないで通り過ぎてしまったことが 後悔される・・・
世の中との乖離について書かうと思ったら、数日前に書いてゐた(苦)。
全然憶えてゐないといふのも、病氣の一つだ。
世の中には流れのやうなものがあって、スピリチュアルへの人々の関心についても流れがあって、それと自分の流れとが一致してゐない。
酒の飲みすぎで心身が狂ってしまったのか。
怒濤の流れに翻弄されてゐるやうな。
今の自分には「引き寄せの法則」は関心がない。引き寄せられたから、だうだといふのだらう。
(ちなみに「引き寄せの法則」といふ言葉を編み出した一人が僕ではある。知る限りでは、別々に同時期にあと二人別の出版社の人が、自分が「引き寄せの法則」という言葉を作った、というのを聞いたことがある。ニュートン、ライプニッツ、関孝和が同時期に別の場所で微分積分を発見したのと同じ原理かもしれない。「引き寄せの法則」という言葉を編み出すときに、「引き付け」「引力」「牽引」とかいろいろ当てはめてみたが、「引き寄せ」が一番ピンと来たから本のタイトルと本文の中の該当箇所に使った。エイブラハム・ヒックスの本でソフトバンクの『引き寄せの法則』と弊社の『引き寄せの法則のアメージング・パワー』は、発売日が1日違ひだった。さらに同時系(シンクロ系)では、弊社刊行のジャスムヒーンさんの『リヴィング・オン・ライト』と山田鷹夫さんの『不食』も発売時期がほとんど同じだった。)
「ワクワク」も感心がない。
いわゆるスピリチュアルっぽいものにも関心がない。
覚醒には関心がある。非二元の一時的な人気に左右されたくない。
(覚醒した人は変な性格だが、苦)
UFO、ET、多次元的なもの、宇宙の根本原理みたいなものにも興味はある。
興味や関心をもってゐるといふ主体は誰か?
結局、覚醒やETも単なる関心(エゴ・想ひだけの世界)で、根本的には流れ(タオ)の中ではだうでもよいのかもしれない。
タオの中に身を置くとき、世の中の流れが体を通り過ぎる。