神が在れば

本が売れないぜ。
弊社だけでなく他社の本もそんなに売れてゐないやうだが、うちの新刊はもっと売れてゐない(苦)。
絶望的なくらいだ。
(既刊は、それなりに売れてゐるやうだが)

魅力的な本が出せていないのだらうな。

工夫が足りないのだらうな。
他社は一生懸命工夫してゐる。

あと、スピリチュアルの分野はほぼ出尽くした観がある。
目新しいものがほとんどない。二番煎じ、三番煎じ、四番煎じの本がたくさん出てゐる。

自分が、今のスピリチュアルな流れをキャッチしきれてゐないといふのもある。

「すべてが滅んでも神が在れば十分である」と旧約聖書の預言者エレミヤは言ったといふ(ヤスパース『哲学入門』より)。

どんな状況でも「神が在れば十分」なのだ。

非二元の神

いつも参拝してゐる日本の神様は、祖霊といふべきか、高次元の存在であり、まだこの世(霊界)のものだ。
神々といふべき存在。

それに対して非二元の神がある。
「あれ在り」といふ存在。I IMA TAHT I AM
モーセに示した神。アイアム。
名前(この世のもの)をつけられない存在。

イエスが、
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」
と言はれた神だ。
心、精神、思い、の区別がつかないが(苦笑)。

その非二元の神と対峙して生きる。

対峙すること自体が二元だが。

永遠の相のもとに

なにか、そんなタイトルの本があったやうな。

覚醒で得られる空(くう)なる空間は、永遠の相とも言へる。
常にその相のもとで生きていけたら、なんの問題もないのかもしれない。
問題はあるけれども問題がない、みたいな相。

それにしても、くたびれてしまった。
こまごましたことが多すぎて、神経が疲弊してしまった。

この長年の宿痾(しゅくあ)が。

覚者は偏屈

だうしてかうも覚者は偏屈なのだらう。
妥協もしないし、相手の意図も汲みとらうとしない。
そんなんで覚者なのかと言ひたい(笑)。
覚者だからさうなのだとも言へるのかもしれないが、不愉快だ(笑)。

覚者はともかくとして本物(ある程度達してゐる人)は少ない。
いろいろな人に振り回されずに、本物を世に傳へてゆきたい。
本物も世に出にくいが(苦)。

望むこと

酔ってゐて書くことでもないのかもしれない。
宮澤賢治のやうに崇高でもない。
小池都知事のやうに「希望の党」なんて、なんの希望もない。
希望ない人生と世を生きてゆくしかない。

一番の高みを目指す。
至高なるものとつながるものを目指す。
人々が眞に幸せになるものを目指す。
調和を目指す。

ネガティブ

「いやいやスピリチュアル」の「いやいや」はネガティブな意味合いばかりではない(笑)。
「いやいやー」といふニュアンスもあり、「いーやいーや」といふニュアンスもある。

それはさておき、
やはり自分はネガティブなのだと思ふ。
破壊力にかられるときがある。
さうたうネガティブ。

また自責の念にもさいなまれる。
自分はだうしやうもない存在だと思ふ。

ルシファーの系統だと先日会った人に言はれた。

そして、こんど「るしえる」の本も出す予定だ。

ベートーベンは、苦悩から歓喜へ、だが、
自分は、ネガティブから解放へ、そして空なるしじま、なんともいへない静かな喜びへ。

仁義

やめた編集者が担当の著者をもっていって違ふ出版社で本を出したり、やめたワークシップ担当者が先生をもっていって自分でワークシップをやったりといふのは仁義に反する。

一般の企業でも、やめた営業の人がお客様をもっていって独立してやっていったりというのは牽制してしないやうにさせてゐるところが多い。

不文律といってもいいかもしれない。

僕も前のコンピュータの仕事を辞めるときに、その会社の社長から新規にクライアントをとってコンピュータの仕事をすることは戒められた。
そのおかげか(そのおかげでもないが)、出版やワークショップのほうの仕事ができるようになった。

政治的資質

僕は反抗的であり、きよい行為はしてゐなくて政治的資質もなく性格的にも失格だが、
今の風潮は、政治的資質とは無関係に政治家のちょっとしたことを上げ足とって辞任に追い込んだりしてゐる。
不倫や賄賂や個人的なことは政治とは関係なくだうでもいいことだと思ふ。
良政をしてゐれば、賄賂をしやうが不倫をしやうが変なことをしてゐやうが何の関係もない。
政治家は、良政をしてゐるか悪政をしてゐるかで判断したはうがいい。

こんなことを言へるのも自由が保障されてゐる国だからだ。
ありがたいことだ。
中共だったら自由な発言ができない。
言論の自由も集会の自由もない。
こんなことを言ったらいつ逮捕されるかわからない。
スピリチュアルなワークショップは政府からの監視が付くさうだ。

住んでゐる国によって、やり方は違ふだらうが、スピリチュアルを広めるためには臨機応変に対するしかない(笑)。