人間にも虫のように幼虫からさなぎ、さなぎから成虫になるやうな成長があるのかもしれない。
普通の想ひに浸ったまま(想ひに自己同一化している)のエゴの状態が幼虫の状態で、そこから自己想起(一瞥体験)を繰り返してゐる状態がさなぎの状態、そして覚的自己(無の自己)が確立した状態が成虫の状態。
ただ、その過程は昆虫のやうに自然には起こらず、意識的な努力が必要だ。
ほとんど大多数が成虫にならない。
成長ではなく進化といふ表現でもいいのかもしれない。
覚的自己(無の自己)になったときには、タオ(道)のみがある。