トニー・パーソンズ、おそるべし

数年前から出す予定のトニー・パーソンズの本がまたしてもぽしゃった。
数年前からの最初の翻訳者の訳がものすごくこだわりが強いもので、編集者に調整してもらったり、僕のほうでいろいろ説得したり、あげくは他の人にリライトしてもらったりしたが、結局自分の訳語に戻されてしまい、その方の訳で出すことを取り止めた。数年が消えた。

今年の春に別の方に翻訳をお願いし、先月翻訳が終了し、その後、気になるところを直してもらったりして調整してもらいほぼ完成に近づいたが、本日、印刷所への入稿直前にある一語の訳語の件で翻訳者と折り合いがつかなくなり、翻訳者が降りるといふことになった。こちらの方もこだわりが強く、折り合いをつけようとこちらも妥協も重ねたが、最後の一語に関しては折り合いがつかなかった。これでこの方も数ヶ月、棒に振った形になった。僕も他の山のような原稿のある中、非二元の重要な書と思い、チェックをしてきた。それも無駄に終った。

非二元の重鎮であり、極北であり、現代において一番達してゐる人の一人、トニー・パーソンズ。人をして、そこまでこだわらせてしまふのか。
ラマナ・マハルシの訳者にも共通するところがあるのかな。その人たちは自分なりの思ひ入れとこだわりがある。

そのこだわり自体が非二元ではないと思ふが、訳文にもこだわりがある分、非二元の本質に届いてゐない訳になってゐるやうにも感じる。かゆいところに届かない。平面的。読者のことを考えず自己満足。いい過ぎか(笑)。

自分が何さまか、ともいへる(苦笑)。自分もこだわりが強いのか。
さうとも言える。出版社の代表として、自分はかう伝へたいといふこだわりか。
それに対して、翻訳者は柔軟に応じてほしいと思ふ。
翻訳者は応じられないと思ふ。あぁ。

かういふぽしゃりがあると、前であればカッとなって椅子を蹴ったり、壁を叩いたり、ものを投げたりしてゐたが、今はかなり耄碌してしまって、さうする気力もない。
またか、といふ感じ。

原書は100ページくらいの薄い本だが、なかなか出ない。
3人目の翻訳者を探さないといけない。今度は柔軟な人がいいな。

 

今回は、1曲ではなく、トニー・パーソンズのYoutube
設定から自動翻訳(日本語)で見てもいいのかもしれない。感触だけでも。
英語ができる人は必要ないが(笑)。

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