結局、なんなのかわからない。
いったい、何をやってゐるのだらう。
『100年の孤独』といふ小説だったかななんだったかがあったが、138億年の孤独。
かたや超越者(根底者)を感じることによる幸せ喜び、かたや138億年の孤独。
なんなのだらう、すべての無意味感。
結局、この宇宙とはむなしいものなのか。
生きてむなしく、死んでむなしい。
生きる希望もなく、死ぬ希望もない。
永遠の牢獄か。
超越者も孤独なのか。
単にそのむなしさは、日々の挫折感が宇宙にまで広げてゐるに過ぎないのか。
結局、なんなのかわからない。
いったい、何をやってゐるのだらう。
『100年の孤独』といふ小説だったかななんだったかがあったが、138億年の孤独。
かたや超越者(根底者)を感じることによる幸せ喜び、かたや138億年の孤独。
なんなのだらう、すべての無意味感。
結局、この宇宙とはむなしいものなのか。
生きてむなしく、死んでむなしい。
生きる希望もなく、死ぬ希望もない。
永遠の牢獄か。
超越者も孤独なのか。
単にそのむなしさは、日々の挫折感が宇宙にまで広げてゐるに過ぎないのか。
HN: Schedar のモノローグ。
無意味と思うなら無意味。意味があると思うなら意味がある。
生きるも死ぬもここでのこと。肉体を脱ぐと「私」はまだつづく。
だからほんとうは、どちらもあってどちらもない。
むなしいと思うのなら、…それはここの世界とだけ結ぶ人間だから。
ここの現実はここ固有のもの。人間の集合意識のたまもの。
そして、集合意識を共有する中で二元極性化に傾くのが人間。
だって人間がそれを望んできたのだから。それを手放したくない…と。
希望は人間だから抱く。希望が無い、というのも。
それらはこことだけ結んでいるからこそ抱く気持ち。
ここでは時間が一定方向に流れる。だから未来がこことは別にある、と…ここの皆は信じている。
時間の流れが途切れると、すべてが流動的になることさえある。過去も現在も、そして未来も。
未来も過去も今ここの一瞬の中だから。一瞬は永遠。。。
人間は牢獄の中。繭の中に入り閉じている。あるいは人間の枠という制限の中。そして隙間から外を垣間見る。
人間という枷が外れれば…緩めば、その鎖から解放され牢獄から出ることになる。
そうなれば、ここでの孤独は薄れ行く。
なぜなら、次元宇宙を知り、それらとのつながりを感じられるから。
それはひそやかなぬくもりとよろこび。愛はあまねくそこにある。
かなしみはよろこび。くるしみはたのしみ。視点を移せば、そのことに気付く。
私はそう感じそう思い、そして気づいた。知識ではなく体験から。
Schedar様
コメントありがとうございます。
そうなのでしょうね。
永遠の相から見たとき、自分とは宇宙とはなんなのかなと思って。
今井さま。
私の長いコメント、ご迷惑でしたら削除してくださってかまいません。
送信してからその長さに自分でびっくりしました。。。
ただ内容は私自身の実体験から得ている実感ですので…あしからず。