神様(人格をもった高次に進化した存在)にお願いするのは、神様を使う(使役する)ことになるのかな。
多くの場合、神様にお願い事をするとき、神様を褒め称へ、高めに高めて、自らを低くへりくだり、無力なものとし、神様の慈悲にお願ひするしかありません、と祭文を述べる形で行なはれる(物部のいざなぎ流など)。
こういふお願い事は、神様を使ふことになるのかな、それとも使ふことにならないのか。
これは神様の気持ち一つに掛かっているので、こちらの思ふやうにはならない。神様の思ひ次第だ。
これは会社や組織で上司にお願いするときにも通じる(笑)。
お稲荷さんは、お願いすると見返りを要求するといふ。
ほかの眷属の存在たちは、見返りを要求するのかな。
龍神は?
龍神もひたすら褒め称へ、伏してお願いする形か・・・
「祓へ給へ、清め給へ」といふのもお願い事か。
自分のために、自分が清くなるために神様にお願いしてゐる。
自分がなくなれば、清まる主体がいなくなる。願ふ必要がなくなる。
自己なき自己が神様(神棚や神社)に向かうとき、だうなるか?
自己と神様とが根底において一つであることを感じるだけ?
お願ひもないが、感謝ということもない。通じ合ひだけ? 通じ合ふといふの二元的な表現だが。
けふの1曲(NTR Podium: Lavinia Meijer speelt Philip Glass)
全然関係ないけれど、今、若い女の人たちに手持ちの扇風機が流行ってゐるやうだ。よく見かける。
ヒット商品(笑)。
タピオカの次はこれか。
人格をもった高次に進化した存在、とは、普通はアセンデッド・マスターというのではないでしょうか。神様と言っちゃうと、宇宙に絶対的な存在の一者をイメージします。それが誰かの味方をするようには思えません。チャネリングのエンティティなどは、個人的に味方することが多いですよね。