「私はゐない」とは仏教の「無我」

のことを書かうと思ったが、今日(9日)はだうもツイてゐない日だった。
よくない知らせがたて続けにきた。
悪いことは重なるものだ。
しかし、良いことは重ならない。重ならないどころかめったに良いことは起きない(苦)。

減量に取り組みつつ、不摂生もしてゐるから、頭が朦朧として運を悪くしてゐるのか。

ノンデュアリティでよく言はれる「私はゐない」とは、仏教の「無我」と同じだ。
ノンデュアリティと仏教は同じことを言ってゐる。
ただ、仏教は宗教と化し、形骸化したり、葬式仏教になったりしてゐる。
仏教の本質的なところ、純粋なところが現代のノンデュアリティだ。
仏教の本質的なところと、葬式宗教とを切り離さないといけない。
葬式宗教は霊能者に任せればいい。霊的なことは霊能者に。
悟りのことは、ノンディアリティに。
仏壇に向かって、ノンデュアリティの意識になっても、死者は悟らない。
あるいは、仏壇に向かってお経を唱えるよりも、トニー・パーソンズの本を朗読したほうが、
死者も悟る(成仏する)のかな(笑)。

「私はゐない」「無我」「諸法実相」「あるがまま」「それしかない」