訳語の難しさ

7月に出版予定のノンデュアリティの本『悟りを生きる』(スコット・キロビー著)の訳語で難航してゐる。

「inseparability」「inseparable」(分けられない、わけられないもの)の訳語で、
「一体性」と訳すのか「非分離」と訳すのか「不可分」と訳すのか「分離できないもの」と訳すのか、
訳者、編集者、僕の間で統一見解に達してゐない(笑)。

英語から日本語への変換は、1対1ではできないものが多くて、一種の文化移植みたいなところがある。
マインド、ハートの訳語も、心が1対1で対応していない。
イギリス人やアメリカ人は、マインドというと頭(思考)を指すが、日本人が心というとどこを指すのか? 胸か。
頭から胸全般か、漠然としてゐる。頭を心と指す人は少ない。
ただ、禅で心といふ言葉を使うときは頭(思考)を指すことが多い。禅が中国から来ているからだらうか。
心臓も中国から来ているから、中国人か禅僧は何か使ひ方が違ふのかな。

『悟りを生きる』は、わりとわかりやすく読みやすい本なので、難しめの表現でないほうがいいのかもしれないけれど。

翻訳は文化移植であるとすると、逆に日本語を他国語に変換する(日本の文化を他国に伝へる)のも大変さうだ。

よくこれからは日本から文化(日本の精神文化)を世界に発信するのだ、といきまく人がゐるけれど、
日本語をうまく他国語に変換できるかだうかだらう。
また変換したい外国人がゐるかだうかだらう。
さうでなければ、単なる日本人の押し付けといふエゴだ。

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