ありがたうございます

「ありがたうございます」は感謝する対象があって成り立つ。
感謝する人と感謝される人(存在)との関係性。
それは二元の世界。
それを包摂するものとして全体性(一体性)(非二元)のスペースがある。
この二元の世界では感謝だが、一体性(ワンネス)の世界ではそれを超えてゐる。
同時存在。
人々に感謝し、先祖に感謝(先祖供養)し、神々に感謝するこの世界と、それを超越する世界と。

ヤン・ケルスショットさん

レナード・ジェイコブソンさんと違って、ヤン・ケルスショットさんはよくしゃべり沈黙の時間もあまりない。
レナード・ジェイコブソンさんは、沈黙のプレゼンス力によって会場を静かな空間にするが、ヤン・ケルスショットさんは沈黙によって会場を静かにはしない。
しかし、ワークショップが終わったあとのプレゼンスの余韻は双方匹敵するものがある。
会場でプレゼンスを表現していないように見えて(言葉で「スペース」のことを常に意識して語ってゐたけれど)、会場から去ったあとにプレゼンス(スペース)が現れる。
不思議。

ニシキトベの知名度をアップさせたい!

先月、『ニシキトベの復活』を出版した。

まだ、ニシキトベという存在はそんなに知られてゐない。
もっとみんなに知ってもらひたい。

ナグサトベも近くにゐた和歌山・熊野の女酋長で、ニシキトベも熊野の女酋長だ。
どちらも神武天皇の東征で殺された(?)。
土着の人たちの長。奈良のクモ族もさう。

時代は古墳時代の前くらい。弥生なのか縄文なのか。
著者の佐藤シューちひろさんは、神武即位の西暦紀元前660年説をとって縄文の女性酋長と見ている。考古学的には、神武即位は紀元後300年くらい(古墳時代のはじまり)。そうすると弥生の女性酋長となる。

神武ななぜ東征して、土着の人たちを殺して、王位についたのか。
それから今まで王位(天皇)は続いてゐるが。

ニシキトベを復活させることは、元の日本人の魂を復活させることだ。

『ウエティコ 神の目を見よ』にも通じるものがある。

著者の佐藤シューちひろさんは、熊野でニシキトベの彫塑を作っていく過程で、ニシキトベと対話し、ニシキトベの歌を聴き、みずからの内にある本来のものを解放していった。

ニシキトベをみんなに知ってもらいたい!

照明体験

今日も酔ってゐるので、何を書いたか憶えてゐないと思ふが書いてみる。

イスラム教神秘派のスーフィでは、神秘体験を「照明体験」(イルミネーションの体験)と読んでゐる。
光に照らされるやうな体験。臨在(プレゼンス)を感じてゐるときの体験。
臨在とは、神の臨在。
超越者・普遍的な意識がまさにありありと感じられ、照明を浴びてゐるやうな感覚。
照らすそちらが本当のもので照らされてゐるこちらが・・・うまく表現できない。

だいぶ前に山川紘矢さんが何かの本に書かれてゐたな・・・。ご自身の照明体験を。

スーフィたちは、見えないが感知できる照明的存在との恋・愛に生きた。

病膏肓に入る

書かうと思って投稿一覧を見たら、既に昨日同じ内容のものを書き込みしてゐた。
すっかり書いたことを忘れてしまってゐる。

相当飲んでゐて書いたので、記憶がないのだらう。

そんなのばっかりかもしれない。

病膏肓に入ってゐる(苦)。

日頃の行ひが良いから

運が良い、とはよく言はれる言葉。

知人が、連日悪天候だったのに、行ったその日だけ晴れて、素晴らしい夕日と夜空の星々を見ることができたと言ってゐて、そのときのガイドさんが「今日のみなさんは日頃の行ひが良いから晴れました」と言っていたとか。

日頃の行ひが、運に作用するのか?

今日読んだ本にも、ゴミ拾ひやトイレ掃除が運を呼び寄せると書いてあった。
その著者は会社の前のゴミをいつも拾っていて、タバコの吸殻とかも拾ってゐるとのことだったが、タバコの吸殻もいつも銘柄や吸い残しの長さが決まっているそうで、捨てる人も同一人物で逆の習慣化がされてゐる(運を悪くしてゐる)と指摘してあった。

その本を読んだ直後、会社の建物に入るときにタバコの吸殻が捨ててあるのを発見した(わぉ)。
瞬間、どうしようかと思ったが人通りが多くて拾う勇気が出なかった(苦)。
あと戻りして拾おうと思ったら、掃除の人がいて玄関先をきれいしようとしているところだった。
であれば大丈夫かなと思って建物に入って会社のある部屋に入った。
で、会社の帰りにそこを通ったらまだタバコの吸殻がそのまま捨てられたままにあった。
ショック。
今からだと拾ってもゴミ箱にも捨てられず、放置して帰ってしまった・・・(苦)。

これでは日頃の行ひが良くない。

日頃の行ひが良くないと、ローマ帝国の皇帝でさへ暗殺されたり自死に追ひやられたりする。