今日お会いしたお医者さんによると、気力と肝臓は関係してゐるといふ。
酒の飲みすぎで、肝臓が弱って、それで気力も出なくなったのかな。
肝臓を大事にしないといけない・・・
と言ひつつ、酒を飲みながら書いてゐる(苦)。
今日お会いしたお医者さんによると、気力と肝臓は関係してゐるといふ。
酒の飲みすぎで、肝臓が弱って、それで気力も出なくなったのかな。
肝臓を大事にしないといけない・・・
と言ひつつ、酒を飲みながら書いてゐる(苦)。
『奇跡のコース』では、この世界は神が創ってゐない不完全なものといふ。
いつまでも不完全であるが故に、この世界には希望がない。
ラマナ・マハルシも「この世界のことは、この世界に任せない」と言った。
この世界はだうしやうもない。この世界には希望がない。
では、この世界でないところに希望はあるのだらうか?
神の世界に希望はあるのだらうか?
神の世界の希望って何?
神の世界にあれば何の希望もないのではないか。
希望をもつ必要がない。
パウロは、
「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である。」
と言った。
パウロの言った希望とは?
今、自分にはほとんど希望がない。
あっても希望なき希望。
希望と言ふとき、何か心が開くイメージがある。
なぜ開くのか?
望みが叶う可能性があるから?
死が待ってゐるこの世界で望みが実現しても、やがては消えてゆく。どこかで望みが死によって断ち切られる。
何の結論も出ない。
心理学はうだうだしてゐて苦手である。自己愛の世界。
また心理学は平面の世界を扱ってゐる。縦軸がない。神や信仰や悲劇性がない。
ライトスピも同じやうなもの。ライトなだけあって深みがない。
名人や巨匠や職人は、何年も修行し、自ら何かを会得し、磨き、そぎ落とし、そして人を感動させる何かを体得する。神が宿る? 神聖な何かが顕現する?
ライトスピにはさういふものがない。
手短に何かが得られる、といふタイトルばかり。
それで得られるものとは何なのか。ぴーひゃら。
今の自分はライトスピでもディープスピでもない。
何かほとんど諦めてしまった。何も達成しようとも思はない。達成しようとしないから名人にも巨匠にも達人にもなれない。かといって手軽に願望実現なんてとも思はない。何の意味もない。
もう年で死ぬだけといふ感じだ。死ぬ人間に願望なんて意味がない。
やれることはやったし、あとは惰性なのか。
体力も気力も落ちてゐる。
あとは後進に任せるだけ。
遊子、ひとりたたずむばかりなり。
スピ系は何でも対象化してしまふ。
高次の存在は対象として見ることはできるが、神(といふ表現は適切ではないかもしれない。包越者)は
対象化しえない。偶像は作れない。
主観と対象を包越する何か。
包越者に、意識を向けること。
縦(垂直)といふもこれを指すのか。
対象化できるものは平面だ。水平の世界。
ハムレットは、包越者に意識を向けながら生きた(劇の中で)。
「生か死か、それが問題だ」といふとき、そこには包越者への意識がある。
包越者への問ひかけがある。
イエスは、その典型だ、常に包越者に意識が向いてゐる。
「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」
この20年で日本のスピリチュアルもだいぶ進化、成熟、一般化、浸透をしてきたな。
情報が増えたおかげであり、いろいろな人が実践してきたおかげだ。
次の元号が「令和」になった。
いろいろな意見があるようだ。命令の令で統制や軍国主義や戦争のイメージがあるとか、文字のエネルギー的にもあまりよくないとか。和を令せらても、という感じはあるのかな。まあ、どんな時代になっていくのか・・・
同じ音を使ふのであれば「霊和」がよかったかな。霊(スピリット)が調和していく感じで。
それはともかくとして、
Kan.さんも言はれてゐるやうに、スピリチュアルの道においては平面(平行)の関係だけでなく、垂直のものがだうしても必要だ。垂直のないスピリチュアルは、ただの遊びといふか何の意味もない。本においても平面的な本ではなく、垂直のものがある本を出していきたい。
垂直とは霊感だったり、聖なるものを感じこと。相手と面していながらそこに聖なるものが介する。
人への愛が同時に神の臨在を表してゐるやうに。
いろいろなチャネラーがいろいろなマスター(同じ名前のマスターだったりもする)のメッセージを伝へ、それらを本に出したいといふ。
最近も何人もの方からさういふ企画の連絡があった。
それって、だうなんだらう?
メッセージに特化したものがあるのか、本当に高次の存在なのか。
それら霊的存在たちは何を伝へたいのか。
メッセージ攻めみたいになって、こちらもアップアップ(苦)。
何が何で何のか?
ちなみに他からの企画は受け付けてゐない(笑)。
去年の暮れ(後半)から(その前からでもあるが)、本の校正でかなり時間をとられ、日々の業務の量もかなりあり、現在、エネルギーレベルがかなり低下してゐる。アップアップで肉体的にも腰に来ていて、他にもいろいろやられてゐる(何割かは霊的な影響もあるかもしれないが)。激痛。
まともにメールにも対応できない。
メールにお返事ができなくてすみません!
業務量を4分の1くらいにしたい。
あまり頼られすぎても困る。
頼られるよりも自分の好きなことをしたい。
まう、限界に近くなってゐる。
うちの本もさうかもしれないが、他社の本でもそれを本にするの?といふ本が出てゐる。
やがては消へてゆく本だと思ふけれど、そんな本が多過ぎるやうに思ふ。
うちでは、後々まで残っていける本を出していきたいと思ってゐる。
二つの道がある。
この世界に氣を入れることと、この世界から氣を抜いていくことと。
成功哲学や引き寄せ系は、この世界に氣を入れてだうにかしやうとする。
『奇跡のコース』や覚醒系は、この世界は幻想だから氣を抜かうとする。
この世界なんかだうでもよい、だうならうが幻想、夢幻で、ゆるしまくって脱出する。
傷ついてもカルマの応酬なので甘んじて受け入れ、それでカルマも解消し、
あとは、それは幻想とみなして解放する。
この世界から脱出する。
この世界で、氣をつかひすぎて本を出版し、疲弊する。
人々の気づきになればよい(よいと思って出版する)が、それは結果としてだうなるかわからない。
ひとりよがりなのかもしれない。
氣を入れればいいのか、氣を抜けばいいのか。