1990年代は、スピリチュアル界も割りと特化した質のいいものが多かったやうに思ふ(全体としては数は少なかったが)。
しかし今は、まう玉石混淆で、情報はネットでも書籍でもものすごく多くて、質はバラバラ。
数の多さで、質のいいものが埋もれてしまってゐるのか、見えにくい時代だ。
質がいいものがあるのかもわからない。
なぜ今の時代、これでもかと言はんばかりに情報を投入するのだらう。
玉石混淆で先も見通せない。
見通せない時代を生きていくしかない。
出版社としては、時代を切り拓いたり、見通しを示したりする役割があると思ふが(笑)。
これでは失格だ(苦)。
例えば悟り系の本を世に出そうとする場合、「正しい悟り観を世の中に広めたい」というコンセプトでゆくか、「とにかく売れさえすればそれでいい。売れさえしてくれるなら悟り観の正しさは問わない。」というコンセプトでゆくか、大きく分けて二つの道がありそうです。編集者でもない私が偉そうなこと言ってすみません。
で、後者のコンセプトでゆく場合、多くの人々が(意識的にか無意識的にか)共通して持っている悟り観に迎合する内容、あるいはそれに沿う内容の本にする、というやり方もあるように思います。
私見ですが、狙ってそうしているとは言い切れないものの、内容の正誤に関係なく、大多数の人が持っている悟り観に沿う内容ゆえによく売れたと思われる本もあります。
コメント、ありがとうございます。
「大多数の人が持っている悟り観に沿う内容」を悟った人が書くか、書いてくれるかはちょっとわからないです。
悟った人は、変な人が多すぎて、交渉したり対応したりするのが大変です(苦笑)。
エックハルト・トールあたりは、多くの人に受け入れらたので、何かそのあたりをつくものを持ってゐるのかもしれませんね。
まさかご返事をいただけるとは……!
思いますに、本当に悟った人が悟りに関する話を、本音に忠実に語れば語るほど、一般の人には付いてゆきにくくなるはずです。
オショーはそのあたりのことをよく心得ていたようで、悟り系の話を大衆の前でする時は、自分が理解していることを相当に薄めて(あたかも何かの原液に大量の水を加えるように)話していたようです。
しかしこのやり方には当然のこととして、悟りの何たるかが正しく人々に伝わらなくなる、という負の側面がありますので、そういう意味でのジレンマも彼はかかえていたようです。今は絶版になっているようですが『神秘の次元』という本の中に、そういう話がありました。「難しいのはそこだ」というフレーズだけはよく覚えております。
ついでながらエックハルト・トール氏などは、顔立ちからしても、そういうジレンマや悩みとは無縁の方のように私にはお見受けされます。