今年はやることなすこと、うまくいかなことだらけだった(毎年かな、笑)。
かなりしんどかったけれど、なんとかしのいでこれた。耐えられた(耐えられてゐない)。
鍛えられたのかもしれない(笑)。
今もうまくいかないことは、進行中。
毎日のやうに、またか、またダメだったかの連続。
でもそれらに自己同一化せず、主客を超えた超越者を感じることで、さういふこと(うまくいかないこと)は何とも感じなくなった。
(鍛えられたのではなく、注意が向かなくなっただけかもしれない、笑)
主客を超えた超越者の認識(知覚)は、自己認識(自己想起)によって認識できるが(頭的、視覚的)、
主客を超えた超越者を感じるのは、頭といふより全身の感じだ。胸から肩下あたりを中心に全身で感じる。全身の外側まで。(これが幸福感をもたらす)
今度出すドロレス・キャノンの『イエスとエッセネ派』の本の中で、一般に認識されていないチャクラのひとつ(ふたつ)に、両肩下あたりにあるといふ。それも関連してゐるのかな。
ひたすら超越者に注意を向けること、感じ続けることが、今の課題。