神社で神様に感謝するのは、神様に迷惑を掛けてゐるのかな。
頼みごとをされるのは迷惑だろうけれど、いちいち感謝されるのもめんどくさく思はれるかもしれない。
自分ならめんどくさいと思ふ。
何かして「ありがとう」と言はれる分にはいいが、なんでもかんでも「ありがとうございます」「感謝しています」と言はれるとうんざりする。
神様は神様の働きがあり、それを邪魔しないことがいいのかな。
神社に行っても(神棚でも)、ただその働きに感応するだけでいいように思ふ。
ご神氣に感応する。
さうすれば、自分の気も清められ、心も清められ、気持ちのいいすがすがしい状態になる。
それが神様も喜ばれるのではないか。
祈りといふのも、同じなのかな。神様に氣を合わせる。
イエスの言はれた第一の律法「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」にも通じるのか。
それにしても仕事量が多過ぎる。処理しきれない。どうにかしたい。
このままだとパンクしてしまふ。変になってしまふ。
仕事の多さに机をたたきたくなる。マウスをバンバンさせたくなる。
ミーティングもあるし、つきあひもある。
酒の飲みすぎで何もできないといふのもあるが(苦)。
年をとってきて処理能力が落ちてきてゐるのに、仕事の量は増えるいっぽうだ。
これからは仕事を人にふって、業務量を減らそうと思ってゐる。
移行がうまくいってほしい。
こんなんじゃ、覚醒もあったものではない。
逆に覚醒してゐたら、うまくやっていたのかもしれない(笑)。
けふの音楽。
ショスタコーヴィッチの「2つのバイオリンとピアノのための5つの小品」をチェロとコントバスで弾いたもの
もう1つ。同じ曲の別の演奏。