仏教におけるノンデュアリティの歴史

ブッダがノンデュアリティを悟って、初期仏教から、大乗仏教の中観派、唯識派とノンデュアリティ(非二元)が受け継がれてきたが、そのあとの密教になって、ノンデュアリティはだうなったのだらう?

チベット仏教はノンディアリティなのか?(日本の真言宗は?)
ゾクチュエンは非二元であるが。
ゾクチェンは、禅の影響を受けてゐるといふ説もある。

密教の次に禅が出て、ノンデュアリティの伝統が復活した。
禅特有の癖があるが。

密教はよくわからない。
エネルギーワーク?
三密加持して、自分と仏と一体となるってなんのこと?
身口意(三密)を仏と一つにするとは?

One thought on “仏教におけるノンデュアリティの歴史”

  1. 究極的な意味あいでの非二元というのは人間の霊的な目覚めを意味する言葉ではなく、たんにこの宇宙の真の成り立ちを理解する(悟る)ということだと思います。そしてブッダはこの非二元の理解を得て、この悟りが後々、とくに日本の禅などに受け継がれていったのだと思います。
    でもブッダの悟りには、別の方々が言われているようなクンダリーニの覚醒を通じてエンライトメントに至ったという、人間としての霊的な覚醒も起こっていて、こちらは法灯の継承のような形でマハカーシャパのような弟子たちに伝えられ、その後チベット密教に至ったのではないかと思います。

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