悟りとは死ぬこと

悟りとは死ぬこと、といふと山本常朝の『葉隠』の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」を想い起こすが、ラマナ・マハルシは十代のときに、自分が死ぬといふことを見つめて真我に至った。

死を見つめることは、悟りにつながる。

死は肉体の死といふよりも自我の死だ。

自我が死んだときに残るもの。

死を通して、生死を超えたものを見出す。

無の地平

One thought on “悟りとは死ぬこと”

  1. <Life is like children playing house.
    人生はオママゴトのようなものである。非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。>このサイト、本でゆっくりと読んでみたい。紙質の手触りの本、手の感触、重さ、本から読みたい!無理かもしれないけどコメントに残します。

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