リチャ-ド・シルベスターさんのワークショップの影響もあって、自己(自分)はゐない、ワンネスのみがある。
無条件の愛で満ちてゐるのみがある。といふ言葉を聞いて、自分自分自分といふやうな本の取材依頼等が
あっても、だうかなと思ってしまふ。協力してあげたい気持ちはあるが載せる意味があるのかだうか。
「自分を大切にする」といふのはいいのかもしれないが、自分(と思はれるもの)が抑圧されたり、
認められなかったりしたら、回復する意味で必要なのかもしれないが、
これだけ非二元が広まって、「自分はゐない」といふことが言はれるやうになって、それでも
自分自分自分といふのは時代遅れのやうな氣がする。
2段階(自己否定→自己肯定→自己不在・ワンネス)があるのかもしれないが。
今は時代錯誤も混在する時代か。