先日、また別の悟った方にお会ひした。

その方は、「パンパン」といふ音に真実があって、その事実を自覚するのが悟りだと言はれてゐた。
その音を対象として認識するのではない、とのことだった。

対象化しない知といふのはだういふことか。

それを「即」と表現されてゐた。

覚醒しても、覚的世界を対象として認識してしまえば、まだ対象として見てゐる自己が残ってゐることになる。
プレゼンスを認識しても、プレゼンスを対象化しては、まだ自己が残る。
超越者を認識しても、認識してゐる自己がまだある。

対象化しない知。

認識がやむとき、対象もないし自己もない。知もない。

「パン」と氣づいたら「パン」だった・・・
自己もなく。

この方は、悟りを維持することも、戻ることも、深まることもない。大悟も小悟もないと言はれてゐた。