神の安らぎ

『奇跡のコース 第一巻』が、しばらく品切れ中だったが、ようやく増刷できた。
amazonにももうじき反映されると思ふ。また全国の大型書店にも並ぶと思ふ。

『奇跡のコース』は、序文でこのコースは次ぎのやうに端的に要約できると言ふ。

実在するものは、存在を脅かされることはない。
非実在なるものは、存在しない。
ここに、神の安らぎがある。

なぜ、そこに神の安らぎがあるのか。
前の2行は、存在するものは存在し、存在しないものは存在しない、と言ってゐるだけのやうだ。
だうして、そこに神の安らぎがあるのか。

この世は、幻想の世界であり実在しない。非実在なるもの。
この世を超えたもの(神)のみが、実在する。神は絶対で滅びない。不滅。
神は滅びないから安らぐのかもしれないが、人間は、俺は、滅びの存在かもしれず、安らぎはない。
神だけが安らげばいい。
そもそも「あなたも私もゐない」(笑)。
神だけがゐて、神(だけ)が安らいでゐる。
それが『奇跡のコース』の教えか。

『奇跡のコース』は、純粋な非二元(ノンデュアリティ)の教えだと、ゲイリー・レナードを通してアセンデッド・マスターは説いてゐた。

イエスは、安らいでゐるのか。

覚醒と安らぎは異なる。
覚醒は、意識の領域であり、安らぎは、心(ハート)の領域だ。

『奇跡のコース』では、「神のマインド」を説くがハートはだうなのか。

俺の心は安らいでゐない。

心(ハート)から愛が噴出して、オープンハートだぜ、とはまだ行ってゐない。

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