偽善の国

11月23日は、勤労感謝の日といふことだが、何の祝日か不明だ。誰が誰に感謝するのか。勤労とは何か? なぜそんなことを祝ふのか。もとは神道の新嘗祭の日を戦後、占領政策で神道色や天皇色をなくそうとして名前を変へたものだが、ヘンテコな名前だ。不快な印象を受ける名前だ。なぜこんな名前の祝日を作ったのか。そこに偽善性を感じる。僕も偽善者だが、かういふ偽善はきらいだ。
敗戦後、日本は偽善の国になった。
文字も伝統を断ち切った文字になってしまった。敗戦前の文章が読めず、江戸時代も平安時代の文字も読めなくなった。文化が切られた。

敗戦前もいい国ではないかもしれないが。
山形有朋が、統帥権を独立させ、軍国主義の礎を築き、軍部の独走を招いた。
日露戦争以降、民度が下がったのも原因かもしれないが。
民権運動と文化と政治との揺れ動きのなかで戦争に突入し、負けてしまった。
その後は、日本文化の全否定。
(たかが1回負けただけで全否定しなくてもよさそうなのに)
今はその呪縛の延長線の中で生きてゐる。
(アメリカが仕掛けた呪縛か、左翼がそれに便乗してしかけたものか)
そして、その呪縛からの脱却として日本の精神性の見直しの動きもある。
その見直しも、なにか変な感じの動きもある。
本当の意味での見直しを望む。

久々の第一位

昨日は、amazonの形而上学部門で、『もしここが天国だったら?』が午前中に1位、午後から『アルクトゥルス人より地球人へ』が1位と、ダブル1位になった。

久しぶりの1位だ。
このところ、本があまり売れない時期が続き、長いトンネルのやうな感覚だったが、少しだけ明るい(笑)。
とりあへず、単純に喜び、スタッフたちともビールを飲んで乾杯した。

アニータさんは、前作『喜びから人生を生きる!』でわりと衝撃的なデビューで、次作も期待され、売れるのではと予測されたが、『アルクトゥルス人より地球人へ』は、だうなるか未知の要素があった。『新・ハトホルの書』がロングセラーになってゐて、信頼感もあるので、あのトム・ケニオンのアルクトゥルス人のチャネリング・メッセージはだうなんだらう? ハトホルとの関係は? といふ興味は、多くの人がもったのかもしれない。内容もよく、訳や編集もよく仕上がってゐるので好著、良書といふ感じの本だ。いいエネルギーが伝わってくる感じだ。

マインドを手なずける?

というふテーマで何かを書かうと思ってゐたが、年末調整の申告のマイナンバーの処理(僕がしてゐるわけではなく経理の人がしてゐるが)や、飲み会続きでマインドも好き放題の状態である。

覚醒したとき、エゴが抜け落ちるわけだが、でもその後もマインドは活動し続ける。
マインド=エゴと位置づけられるので、覚醒してもエゴは生き続ける。
抜け落ちるけれども、生きてゐる。
エゴはしぶとい。
エゴ=自分ともいへるので、自分は消え去らない。
開かれた空間の中で、エゴと、または、エゴが、どう折り合いをつけ、妥協していくか。

最後は、明け渡しなのだらうが。

最後でないときは、、、

マイナンバーと税務処理

全然スピリチュアルと関係ないが、フリーでお願いしている人たちからマイナンバーの資料をいただくのにも郵パックを送付して資料をそれに入れてもらって送り返していただかなくてはいけないやうだ。郵パック代だけで何万円も掛かってしまう。税金の申告のためにだ。
マイナンバーが導入されたおかでで処理が大変になり、余計な経費が出る。それだけ税金がほしいなら税務署に経費を負担してほしい。税金を取るために、会社にその負担をさせるのは如何なものか。税務署(国?)に負担してほしい。
税理士を雇って、決算書を作成し、税務署に税金を収めるのも、税理士代は会社負担だ。税金を取るためのシステムなら、税理士代は税務署にもってもらいたい。税務署が税理士を雇って、会社の決算をして税金を取っていけばいい。

税金を取り、国民を管理するシステムであるマイナンバー制の導入でどれだけのお金が掛かっているのか。それ対応のソフトを各企業向けに作るのもかなりの金額が掛かる。税務署や関係省庁に導入するシステム代も税金から賄われる。
マイナンバー制はお金の無駄だ。税金の無駄であり、会社にとっては余計な経費だ。

それにマイナンバーって英語で、それを日本政府(日本国)が使ふといふのが解せない。日本語でいへばいい。「私の番号」(笑)。変。

国民から選ばれた国会議員は、国民が選んでいない税金を集めたい官僚(公務員)たちの言ひなりになってゐるのか。
それでいいのか。

国民の意識が政治家に反映されるが、トランプを選んだアメリカは、国民がその意識レベルといふことだ。
日本の政治家を見れば、日本国民の意識レベルがわかる。

国会で予算も決めなければいい。予算を使はないといけないといふことで期末に必要かどうかわからない道路工事がたくさん行なわれるのだ。予算を使はないで繰越にして次年度用にとっておけばいい。

会社の経理より、国の経理のほうが無駄が多い。それが税金の使はれ方だ。(ひとのことはいへないが)
経営能力のある民間人が財務担当の大臣になって経営にあたったほうがうまくいくのではないか。

アメリカの大統領

トランプがアメリカの大統領に当選した。霊能者を含め大方の予想はヒラリー・クリントンだったが、霊視は当たらなかったか、時と共に未来は変化し、そのときの霊視が当たらなくなるのかもしれない。

弊社で以前出したルース・モントゴメリーの『来るべき世界』では、2000年代の前半に地軸が変わるシフトが起こり、そのときにウォークインの大統領が就任していて、混乱を最小限にしてくれるだろうと書かれてゐた。シフト後の混乱期に反キリストの魂をもつ人が権力を握るとも書かれてゐる。

ウォークインの大統領が誰で、反キリストが誰なのか。シフトはまだ起きてゐない。
シフト後、人々は霊性により目覚め、キリストが地球に現れ人々の意識を高め、
平和が地球を支配する千年間がくるといふ。

今の現実に戻って、
トランプは何をするかわからないところがあるといふ。
これから数年、地球は混乱するのだらうか。
日本はだうなるのだらうか。

プレゼンスと一瞥と悟り

一瞥と悟りの違ひは、小悟と大悟の違ひだ。一瞥は、一瞬か少しの間だけの悟りであり、大悟は永続的な悟り。エゴが抜け落ちて元に戻らない状態。一瞥には、まだエゴが残ってゐる。

かたや、覚醒・悟りの世界では、プレゼンス(臨在、現存)と呼ばれる意識状態がある。レナード・ジェイコブソンさんやルパート・スパイラさんが傳へてゐるものだ。

プレゼンスと一瞥はだう違ふのだらうか?

一瞥よりはプレゼンスのほうが、なるのが簡単だ。特に覚醒したマスターとともにゐれば、そしてマスターからの指摘によりプレゼンスを感得するのは容易だ。
「花とともに在る」「対象とともに在る」「相手と自分とを同時に認識して在る」
そこにはエゴはない。

一瞥は、ハンマーで打たれるやうな感じなのかな。
プレゼンスは、じんわりくる。きたとき、そこをとらへる。

悟りに至るコースとしては、
・プレゼンス → 大悟
・一瞥 → 大悟
・プレゼンス → 一瞥 → 大悟
・一瞥 → プレゼンス → 大悟
・ひたすら愛(無条件の無私の愛)の実行 → 大悟
・神を祈念し唱え続ける → 神への明け渡し → 大悟

プレゼンスの感覚をつかむのにもってこい(笑)のは、今度弊社から発売予定のレナード・ジェイコブソンさんのDVD『イエスの解放』だ。12月の発売予定。お楽しみに!

安心立命

僕はまだ安心立命ができてゐないが(苦)、少し考察したい。
覚醒(一瞥、トランスほか)と安心立命とは違ふ。
覚醒しても、安心を得られない。
では、だういふときに安心立命は得られるのか。
「諦めたとき」だ。
願望を諦めたとき、安心立命が得られる。
運に、物事に、明け渡したときに、安心立命は得られる。
「引き寄せの法則」云々をやってゐるうちは煩悶しか得られない。
本がたくさん売れてほしいと思ってゐるうちは、安心立命ができない(笑)。
安心立命ができたとき、覚醒は定着するのだと思ふ。

スワミ・ヴィシュワナンダ

最近来日されていたスワミ・ヴィシュワナンダさんは、サイババと同じような能力をもってゐる。『スターピープル』誌で前回取材させてもらったときは、指輪を物質化(テレポテーション?)してくれたものをいただいた。今回の取材時には、ビブーティを指から出してくれて、ライターや編集者や通訳、それに僕に渡してくれた。
スワミ・ヴィシュワナンダさんは、サイババにも会ったことがあると言はれてゐた。
物質化は通常はしないらしく必要なときにするとのことだ。取材だったからサービスしてくれたのかもしれない(笑)。
表立って物質化のことは言はないし、見せてゐない。

神(愛)、神(愛)に至る道のみが重要と説く。

神と神の名前は同じだと言はれ、神に至る道として誰でもできることとしてチャンティング(称名)がいいと言はれてゐた。

ヨガも愛のないヨガは無意味だ、と。

スワミ・ヴィシュワナンダさんの記事は、次々号の『スターピープル』(2月末発売号)に載る予定(先が長い、笑)。

是非、スワミ・ヴィシュワナンダさんの本『JUST LOVE ただ愛のみ』も読んでください!

お稲荷さん

会社が厳しいときに、お稲荷さんを信仰することにより立ち直ったといふ所が何箇所もあると、ある霊的能力者から聞いた。

お稲荷さんは、あとがこはいと聞いたことがあり、ちゃんと祀らないとあとでどうなるかわからないらしいのであまり触れずにゐた。
眷属がキツネで、ご本体は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で穀物神のやうだが、ご本体もキツネのやうだといふ説もある。ただきちんと祀られてゐるお稲荷さんは、レベルも高く正装もされてゐるとか。

元々、天橋立のほうに祀られてゐた豊受大神が、伊勢の外宮に勧請されて移られてこられたが、ウケとウカが意味的に近いところから、豊受大神と宇迦之御魂神は同じ(やうな)神なのかもしれない(推測)。過去の人たちもさう推測してきたやうだ。

伊勢の外宮の神は、国之常立神ともいはれてゐるが、豊受大神=宇迦之御魂神=国之常立神なのか・・・

よくはわからないが、宇迦之御魂神は謎だ。

ちなみに、伊勢の内宮の神は、見える霊能者によると男の神がおはす、といってゐる。
天照大神は男の神で、それもユダヤ系の人らしい。

豊受大神も男の神らしい。

古事記や日本書紀は、あまり正確ではないやうだ。

それはともかく、弊社のあるマンションの敷地には、大松稲荷社がある。
お稲荷さんといふことで、あまり参拝してこなかったのだが、
かうも本が売れないと、参拝したほうはいいのかなといふ氣になる。
(あとがこはくなければいいが。おそれで行動するのはよくないが。愛かおそれか)

サンマーク社は、本が売れまくってゐるが、何をしてゐるのだらう。
もちろん、社長が優秀で、編集者も優秀なのだらうけれど。

ノーマインドとマインドフルネス

最近、マインドフルネスが人気だ。
もともとは仏教の上座部仏教が東南アジア等に南伝した南伝仏教の行法のヴィッパーサナ瞑想のことだ。
「自分に気づいてゐる」行法のことのやうだ。普段、われわれは「眠ってゐる」(グルジェフ)から、
それから脱出するためには、「自分」に気づいてゐる必要がある。

ヴィパーサナ瞑想から宗教色を取って、西洋でビジネスマン向けやうつを治すための認知療法等に取り入れられ、名前も「マインドフルネス」と名づけられ、(ちょっと)一般化してきてゐる。

「マインドフルネス」って、名前だけからすると、「マインドがいっぱい」という印象をもってしまふ。
本来は覚醒を指すのに、「マインドだらけ」だ(苦笑)。妄想がいっぱい。

「ノーマインド」は、禅の「無心」から来てゐる。こちらも達磨がインドから南まわりしてきて中国に持ち込んだものだ(インドからチベット経由での中国への伝来は大乗仏教や密教)。
内容は、「マインドフルネス」と同じやうなものだ。
名前が正反対といふのが面白い(笑)。