今日発売のダリル・ベイリーの『ファンタジーの終焉』は、面白い記述をしてゐる。
な~んて、酔いながら書いてゐるが(笑)。
覚醒・悟りは、「動きそのもの」を感得することだと言ってゐる。
パンだったり、指1本だったり、禅で示してゐるのは、対象のそれ(二元のそれ)ではなく、そのもの自身の「動きそのもの」を指してゐる。
覚醒・悟りの書ではよく、対象と対象を認識する主体とそれ自身が一体となってゐることを認識することを言ふ。
主客それ以前のそれ自身の認識・・・
動きそれ自身が展開する。
音それ自身が響く。