『ラー文書2』の原稿を読んでゐると、とんでもない概念が展開され、脳が再構築されるやうな感覚におそはれる。身体自体も再構築されるやうな。よっぽどの知性存在からのメッセージなのだらう。
第六密度の社会的複合体といふ存在だからしょうがないか(笑)。
深遠な叡智の持ち主。
3月発売。
脳トレにピッタリ。
かつ進化の方向性がわかる。
出版社は待つのが仕事(苦)。
執筆や翻訳をひたすら待ち、
それが終ったら、編集をひたすら待ち、
編集が終ったら、印刷製本を待つ。
待ち続けるのが仕事。
その段階で、進捗を氣にし、内容や用語を氣にし、装丁を氣にする。
本ができあがったら(できる前から)、アグレッシブに営業をかける(笑)。
作った本をできるだけ多くの人に読んでもらひたい!
そして売れないと、なぜ売れないか悩む。
何が悪かったか。原稿か、編集か、装丁か、営業か・・・
自分の心がけか。
「ポストが赤いのも社長の責任」といふ経営コンサルタントの一倉定さんの名言がある。
待って、待って、ようやくできた本が売れない。
そんなことにならないようにしたい。
今週末のワークショップは、同じ建物の3箇所の会場で弊社で本を出してゐる著者たちのワークショップがあった(笑)。一つはうちのワークショップで、他の二つは別々の他社主催のものだった。
ワークショップは今、お客様が分散してしまって集客が少なくなってしまってゐる。
毎週毎週、どこかしこでワークショップが開催されていて、関心のある人たちは選択してどれかに参加してゐるのだらう。
この数年、年々どこのワークショップでも参加者の数が減っていると聞いてゐるが、ワークショップの数がこれだけ増へてしまへば、一つあたりのワークショップに対する参加者数は相対的に減ってしまふ。
過当競争だ(苦笑)。
ワークショップに限らず、スピ本も大手出版社もどんどん投入してきてゐて過当競争状態だ。
1冊あたりの売れる本の冊数が減ってゐる(苦)。
圧倒的にすごいワークショップや本でないかぎり、分散化はのがれられない。
何人かの人に言はれたが、弊社の本のカバーは他社に比べて見劣りし、あまる売れるやうなカバーデザインでない、と。
カバーデザインを工夫しないとダメだと。
確かにさうだ。
他社の本は、魅きつけるカバーデザインであり、キャッチコピーであり、いろいろ工夫して売れるやうにしてゐる。
それに比べ、弊社のは見劣りする。内容うんぬんの前に見栄えで購入の差が出る(苦)。
それは反省点だ。
見栄えも栄えるものにしていかなくては。
それはそれとして考慮するとして、
『マジック・プレゼンス』でふんだんに語られてゐる、
「アイ・アム」(われ在り)、「アイ・アム・プレゼンス」(われ臨在す)といふ秘語、悟りの言葉は、旧約聖書で神がモーセに自分は「われはわれたるものなり」(I AM THAT I AM)と言ったと記されてゐる。神は自分は「アイ・アム」(われ在り)だと。
これは覚的主体の認識そのものだ。
悟ったとき、「われ在り」と自覚する。
臨在感がありありとしてゐる。
この世界を超越して、「われ在り」(I AM)といふ感覚があふれる。
まさに神そのもの。神と一つになってゐる。
神が語った「われはわれたるものなり」(I AM THAT I AM)を自覚し、宣言する。
2月に刊行予定のアセンデッド・マスター、サン・ジェルマン(セント・ジャーメイン)の本『マジック・プレゼンス』(1巻目の『明かされた秘密』の2巻目)は、とても興味深い。
チベットのゾクチェンの「虹の身体」、仙道の白日昇天(練神化虛、還虛合道)に通じ、
「アイ・アム・プレゼンス」を生きることによってアセンション(肉体を超えて光の身体、ライトボディになる)が起こるといふ。
「アイ・アム・プレゼンス」とは、真我、覚的主体、非二元意識だ。
「アイ・アム・プレゼンス」を認識すると、何でも可能になるといふ。
チベットも中国も西洋も「光の身体」になるシステムができていたのだ。
インドのクリヤ・ヨガもさういふシステムなのか。ババジは肉体を自由に操る。
日本にも仙人がゐて、昇天していったといふ言い伝へ(記録?)がある。
日本の仙人(アセンデッド・マスター)は、だうやって仙人(アセンデッド・マスター)になったか?