テレパシーとは違ふのかもしれないが、自分の中で思ったことを相手が口にすることがよくある。
もしかしたら潜在意識(集合意識)の場があって、そこから浮き上がってくる思い(想念)を自分と相手が同時にキャッチして、どちらかが先に口を出すのかもしれない(相手が先に口を出すことが多いが)。
テレパシーの原理とは案外さういふものなのかもしれない。
違ふのかな。
テレパシーとは違ふのかもしれないが、自分の中で思ったことを相手が口にすることがよくある。
もしかしたら潜在意識(集合意識)の場があって、そこから浮き上がってくる思い(想念)を自分と相手が同時にキャッチして、どちらかが先に口を出すのかもしれない(相手が先に口を出すことが多いが)。
テレパシーの原理とは案外さういふものなのかもしれない。
違ふのかな。
肉体ごと、あるいは地球ごと、アセンションで五次元に移行すると言はれたりするが、三次元の肉体が五次元に移行することってあるのかな。
移行したら、もう肉体ではなくなってゐるのでは。
五次元では肉体ではありえないから。
五次元移行とは、そもそも肉体ではなく、意識の在り方が移行することでしかありえないのでは。
三次元(四次元)に嵌ってゐる意識から、それを超えた意識になることが五次元移行。
それは真我意識にほかならない。主客(三次元・四次元)を超えたところに真我認識がある。
五次元移行(アセンション)とは、真我意識の獲得のことである。
肉体は三次元のまま。
光の体・虹の体になるのは、肉体が変性していくのかもしれないが、肉体が変性しなくても五次元意識(真我認識)はある。
肉体は変性しなくて、ただ死んでいっても、五次元意識(真我認識)はあり続けるのかもしれない。
肉体の変性とは、ただ肉体が消えていくことなのかもしれない。
少し前のひところは(今も若干)、アセンションの絡みでアセンデッド・マスターが持てはやされた。
それも西洋や中東やチベット人のアセンデッド・マスターたち。
ブラバッキーがはしりか・・・
ニューエイジでいはれるアセンデッド・マスターは、チャネリングを通してメッセージを送ってくるが、そのどれが本物なのか・・・
大部分がうそくさいやうにも思へる。
(宇宙情報系もさうだが)
チベットのゾクチェン僧(非二元の僧)は、死ぬときに「虹の体」になってアセンションしていった。
それらは(この100年以内の)記録に残ってゐる。
彼らこそ、アセンデッド・マスターなのかもしれない。
虹の体になったゾクチェン僧は、チャネルを通してメッセージを送ってくるのか。
あまりさういふ話を聞かない。
仙道を通して白日昇天(=生きているときに肉体を消す)や尸解仙(しかいせん)(=死んだときに肉体が消える)でアセンションした記録はある。30数年前には島田明徳師のお師匠さんの陳驢春老師が白日昇天された。明治期の国安仙人は尸解仙(しかいせん)と言はれてゐる。
ゾクチェン僧と似てゐる禅僧は、「虹の体」にならない。何故だ?
まあ生きてゐるときに「虹の体」にならなくても、非二元の認識(真我の認識)を得ることは重要なことだ。
もうだいぶ年になってきたので、余計なことをせずに、真我の認識に専念したいものだ。
遊びは他の人に任せて。
天狗界では、8割が悪い天狗らしい。
人間界も同じやうな氣がする。
また、悪人に対して身近なところ以外は無力だ。
プーチンにしても金正恩に対しても習近平にしてもミャンマーの軍事政権にしてもアフリカの独裁政の国々や中南米のマフィアにしても自分は(われわれは)無力だ。
極悪人と悪人とエゴと保身の人と。
愛と感謝と謙遜の人々は少数。
先日、夢の世界にゐながら、何かにつけて「自己想起(覚醒)」をしてゐる夢を見た(苦笑)。
覚醒すると夢を見ない、みたいなことをクリシュナムルティは言っていたやうな記憶がある(定かではない)。
覚醒を意識してゐる夢なんて喜劇だな。
このところ、変な現象が起こってゐる。
柱時計が遅れてきて、電池を取り替えても、また遅れて、そのままお盆で帰省して戻ってきたら時計が全然遅れてゐなかった。
首がふらなくなった扇風機が、なぜかまたふるやうになった。
かなり前に買った、波動調整のエイトスターダイヤモンドをペンダントヘッドにしたネックレスが切れてなくなってしまった。霊能者に訊くと、見えないといふ。
何かが変はったのか?
並行宇宙に移動したのか。
これは個人的な現象なのか。集団的な現象なのか。
梨岡さんは、人が死んでから神になることはない、と言ってゐた。
神道では、「神ながら」を説いたりしてゐるが、神にならないのであれば、「神ながら」といふのは人には当てはまらない。
「神ながら」ならぬ、「人ながら」なのかな。
人として生きる道なのか。神道ならぬ人道。
人としての道といふのもなんなのか。
今の人は、人の道を外してゐるやうに見える。
自然を破壊しまくってゐる。
妄想の世界の住人になってゐる。
人は覚醒したとき(自他の同時認識をしたとき)、この世界を超越し、超越者(神)の意識に達する。
覚醒意識(神の意識?)で生きるとき、ある意味では「神ながら」になるのか。
神の意識で生きてゐても、それは、神々ではなく人としての生き方ではある。
現象界のことではあるけれど(笑)、なんで今もNATOがあるのか不思議。
ソ連が崩壊し、共産主義国でなくなったロシアや東欧ができたのに、そして敵対する必要がなくなったのになぜ今もNATOがあるのか。
ワルシャワ条約機構はないのに。
アメリカやイギリスの陰謀?
自由主義の敵は、ロシアではなく中国の共産主義では?
善悪はないが。
(善悪がない件は、来月出すジョエル・ゴールドスミスの『静寂の雷鳴』を読んでもらえたら)
禅では頓悟を重要視する。1回の悟り・一瞥体験だけといふイメージがある。
もともとは1回だけの悟りを重視しなかった。大燈国師のように20年も橋の下で悟後の修行をした。白隠禅師は最初の一瞥体験(小悟?大悟?)のあと、何度も小悟・大悟を繰り返した。
グルジェフは、自己想起(一瞥体験)を長年修練しないと確立しないと言ふ。
一瞥体験の後、長年(20年~30年?)修練しないと本当の覚醒とは言へないといふのが真実のところだと思ふ。
中には短時間の人もゐるやうだが。ネドじゅんさんとか。
存在としては、観照者と観照される世界しかないのかもしれません。
観照される世界で、ああだかうだやってゐるだけ。
観照者から見たら、何の意味もない。善悪もない。ウクライナ問題もただの現象。