スピリチュアル業界は虚飾に満ちてゐる

なにか今のスピリチュアル(業界and出版)は、虚飾に満ちてゐるやうに見える。
本当に虚飾かはわからない。
みんな一生懸命でスピリチュアルが好きで、さういふのをみんなに伝へたいと思ってゐる。
それは事実。

でも虚飾感を感じる。
本当のものでないやうに感じる。

ただの願望達成?

真のものが少ない?

そのやうな中で自分も生きてゐる(苦)。

 

けふの1曲、Ketil Bjørnstad – Prelude I

グルジェフの貴重な映像

Youtubeでグルジェフの音楽を探そうしいていたら、グルジェフ本人が映ってゐる動画があった。
Gurdjieff – Rare Remarkable

動いてゐる姿を初めて見た(笑)。

やはり存在感がある。
存在の重み。
3つのセンターを統御する〈不変の私〉を確立してゐるのだらうか。

 

まう一つ、グルジェフの曲

無力さの道

10月に出す新刊のタイトルが『無力の道(無力さの道)』

ゲラをチェックしていると、いかに人間は無力かということがわかる。
無力なのにできると思い込んでゐる(笑)。
そこに迷妄がある。

無力を自覚し、自己を超えたものにゆだねなければならない。
サレンダー(明け渡し、帰依)。

グルジェフは、「人間は機械だ。為すことはできない」と言った。
それにも通じるのかもしれない。
そして、「為すためには、目覚めなければならない」と。
こちらは「自己知」の道だ。
自己知によって、機械性の世界から超越する。

覚醒・神への道のふたつ。サレンダーと自己知

 

けふの1曲、グルジェフ作曲のピアノ曲

キリストは、非二元ではない?

キリストは、自他を超越した意識といふよりもこの世に対して何か超越的な救ひをもたらす。
自他を超えたといふよりも、その人に寄り添って救ふ感じ?
垂直的なもの。
非二元は垂直的ではない。包括的な感じ。
キリストの垂直的にぐっさりくるこの感じとは何か。

多次元的?

南無阿弥陀仏は、非二元への

南無阿弥陀仏は、アミダといふ悟った存在に帰依することだが、それは悟り(非二元の意識)に帰依(サレンダー)すること。
非二元に降参することが救ひなのだ。南無阿弥陀仏。

同じやうに、南無妙法蓮華経は、仏の教え(仏法)(非二元の教え)に帰依すること。
「教え」(経)といふとちょっと観念的で非二元的でないところもあるが、本質は、
非二元に帰依するところに意味してゐるのだらう。
日蓮の狂信的なところは嫌だが。

仏教は本来、非二元の教えである。

今の仏教はただの形式だが(苦)。

スピ系の本は飽和してゐる状態?

スピ系の売りを狙ってゐる本は、どれも似たやうな内容。
それでゐて、奇をてらったタイトルをつけて売ってゐる。
本の寿命も短い。
スピ系の本は、飽和状態にある。
新しいものはそんなに多くはなく、本質をついた深い内容のものも少ない。

こんなんでいいのかな。

大手の出版社は、あるひは売りを狙ってゐるスピ系の出版社はそれでいいと思ふが。
でも良書?が埋もれてしまふ?

スピ系の人が低レベル化してゐるのか、似たやうな内容でも受け入れる心の寛い人が増えてゐるのか。

海外でもそんなものなのかな?
日本みたいに奇をてらったタイトルの本が横行してゐるのかな。

日本のアニメやオタク文化の延長線に今のスピ系はあるのか。
特殊な日本人の特性? それが世界に広がる?(笑)

文化を耕せない。
深めていけない。

うちはコロナ系の本を出してゐない(笑)

他社は、この時勢でコロナ本を出してゐるところもあるが、弊社はコロナ本を出してゐない。
時勢に乗るのが得意でないといふのもある。また、コロナに踊らされたくないといふのもある。

コロナはしかるべきところが指示を出し、冷静にしかるべき対処をするだけと思ってゐるので、弊社がどうのといふのはないやうに思ってゐる。

直接コロナではないが、コロナのことも含む企画の本もある(笑)。
まだ出すかだうか検討中だが。

時勢に乗るのが得意でないといいつつ、アセンション・ブームのときはアセンション本をたくさん出してきた(笑)。こちらがブームをともに作っていったところもあるのかな。

非二元(ノンデュアリティ)は、あきらかにこちらのほうで流行ってほしいと思って、次々と本を出してきた。流行るといふ表現は何だが、やうやく本質的なことが伝はる時代になってきたと思ひ、出してきてゐる。

スピリチュアル系の分野はほぼ出尽くしてゐる観もある。
これからは、より洗練していく時代かもしれない。
本物が残り、人々もより深く習熟していく時代。
逆にAI等で、仮想の世界にはまる人達もたくさん出てくる時代。
覚醒と仮想とが二極化していく時代。圧倒的に仮想にはまる人が多いと思ふが。
仮想も神の一部なのか・・・

疫病にしろ自然災害にしろ、先行きがあまり明るくない現代。

 

けふの1曲、György Ligeti – Sonate für Violoncello solo

歌に神が宿る

ひさかたぶりの投稿(苦笑)。
最近はお酒が弱くなってしまい、その分、投稿も少なくなってきてしまってゐる(笑)。

 

歌には神が宿りやすい?
カーペンターズの歌や他の歌手の歌にも神が宿ってゐるのを感じる。
何なのかな。良い悪いは別として。

神が宿ってゐるやうな人もたまに見かける。
良い悪いは別として。
すべての人に内なる神がゐるとか、すべては神だから人も神の一部だとかは別として。
何なのかな。

この地上にゐながら超越した世界(聖なるもの)をかいま見させてくれる。

 

 

それとは関係ないかもしれないけれど、まうちょっと自我よりかな、
けふの1曲
テルーの唄・手嶌葵、谷山浩子