ここがアフガニスタンだったら、自分の命もだうなってゐるかわからない。
スピリチュアルも今の日本やアメリカやヨーロッパのやうに自由に意見表明やワークショップもできない。
日本に普及してゐるスピリチュアルはアフガンの人達は知らないのだらうな。
あぁ。嗚呼。
アフガニスタンに限らず、エチオピアもミャンマーも中東もギニアも。
ここがアフガニスタンだったら、自分の命もだうなってゐるかわからない。
スピリチュアルも今の日本やアメリカやヨーロッパのやうに自由に意見表明やワークショップもできない。
日本に普及してゐるスピリチュアルはアフガンの人達は知らないのだらうな。
あぁ。嗚呼。
アフガニスタンに限らず、エチオピアもミャンマーも中東もギニアも。
なんとも、まともに生きられない。
この社会に不適応に生きてゐる。
会社に不適応の人もゐるが(苦)、自分の場合は社会に不適応。もちろん会社にも不適応。
よくやってられるなと思ふ。
ありがたい身分だ(苦笑)。
なんなのだらう、人生は。
バーナデット・ロバーツの『自己とは何か?』の中で、人間が、無我、無自己と段階ごとに進むごとに、キリストが「聖なるもの」との橋渡しの役割を変えてゆく、と書かれてゐる。
覚醒の諸段階で、キリストが関わってくる。
今までは自分にとっては、歴史上のイエスが聖性を発揮したぐらいのイメージだったが、この本を読むと違った様相が見えてくる。かなり本質的な関わり。神と人との橋渡し。
覚醒の過程では、キリストと共に歩く形なのだらうな。
やうやくゲラのチェックが終り(かなり難解だった)、ちょっとグラグラ状態。自己の根底が揺さぶられる感覚。世界の構造が呆然と見えてくる。
究極の本の一つ。
行くところまで行った本。
あなたは、スピリチュアル人ですか? 出版人ですか?
と問われたら、基本はスピリチュアルで、スピリチュアルの真実を書籍を通して伝えていきたい、と答えるかもしれない。
自分には出版人らしさがない。出版人独特の雰囲気をもってゐない。
出版界から見たらドシロウトだ。それでよく20数年もやってこれたと思ふ。
質のいい本を提供していきたい。内容がよくて残る本を提供したい。意識を啓蒙していく本を作りたい、伝えたいという思ひだけできたけれど、できた本はシロウト本だ。
編集者は優秀だが、出版社がシロウト。編集者にも著者にもデザイナーにも申し訳ない。
ただのシロウトよがりがなにをやってきたのかな。
最近なのかいつからなのか、世の中の波動が変はってきたのかな。
みんなこらえしょうがなくなってきたやうな。
我(が)を簡単に通すようになってきたやうな。
世の中の波動が、人々の心理や感情を揺さぶってゐるやうに感じる(仮説)。
ものごとがうまく行かない原因の半分はこれのやうに思ふ(推測)。
『よひとやむみな』で言はれてゐるやうに、今の第二レベルから第一レベルに
落ちてゐるところなのかもしれない。
このところ、ダメになったり、うまくいかないこと、うまく進まないことの連続。
これでもかといふほどに。
前もさういふことがあったが、またそのサイクルか。
たびたびさういふことが起る。起らない期間のほうが少ないか・・・。
よいことが続けて起ることは一度もない。
ライトスピで「どんどんよくなる」「これでうまくいく」「簡単に成功する」みたいなキャッチやタイトルが多いが、彼らは本気でさう思ってゐるのだらうか。
そんなことを書いてゐる人達もうまくいってゐないと思ふ。さういふ人を見たことがない。
あるひは若者が一時的にうまくいっただけの話? 偽善か勘違ひ。
それはさておき、次から次へと崩壊していってゐるので、だいぶサッパリしてきたのかな(笑)。結果として。
あとは、自我と自己の崩壊を待つ形か・・・
気持ちはすぐれず、生きてゐる意味も意義も喜びも見出せないが、すでに8割がた、この世の住人ではないのでそれでいいのかな。あの世の住人でもないが(笑)。
ただ消え行くかたちか・・・、流れの中で。
人生とは何だったのかな。
アフガニスタンに生きて死んだ人も北朝鮮に生きて死んだ人も中共に生きて死んだ人も。
こんなふうに死んでいくのかな。
会社として長年、故中村哲医師のペシャワール会を支援してきた(てゐる)。
タリバンがそんなに「悪」といふことでもないと聞く。
ただ民謡歌手や喜劇役者を殺害するのはどうかと思ふ。
統制がとれず下っ端がわからず殺してしまったのか・・・
女性に対する対し方も。
タリバンはさておき、日本政府の対応が全然なってゐない。
自衛隊機を派遣して日本人一人を国外に連れてきただけ。
あとアフガニスタン人を数十人連れてきたとか。
現地に数百人、まだ出国希望者がゐるとか。
韓国は、数百人だったか数千人だったかを無事に国外につれていったといふ(「韓国の奇跡」と自分たちは言っているらしい)。
日本の現地の外交官は現地の人達を置いていち早く国外に出たといふ。
最後まで残るのが筋では。
みんなを脱出させてから出国すべきだったのでは?
だから自衛隊機を派遣しても日本人一人とアフガニスタン数十人しか脱出させることができなかった。
タリバンにしろアフガニスタン人にしろ日本人には寛容(感謝)してゐるやうなので(民間で長年協力してきたので)、外交官は現地に残っていろいろできたのでは?
菅首相は何をしてゐたのか。
あまり役に立ってゐないな。リーダーシップを発揮してゐない。
コロナもうまく収められてゐないし。
はやくイベルメクチンなり効く薬を認可して治療に当たらせてもらいたい。
そうすればワクチンなんか打つ必要もない。
次の国会の選挙ではすぐれた人が当選して仕切ってほしい。
国会の議員で首相を決めず、首相公選制にして国民が首相を選べるようにしてほしい。
バーナデット・ロバーツの『自己とは何か?』のチェック中だが、まう何ヶ月も掛かってゐる。編集者を待たせまくってゐて大変申し訳ない状態だ(苦)。
かなり難解で、カントの『純粋理性批判』や難解な哲学書を読んでゐるやうな感覚で、ぜんぜん読み進まない。少し読むだけでくたびれる。気が散ってしまふ。
会社の業務と並行して進めることは不可能に近い。どこかにこもってチェックだけの毎日を送りたいが、こもったとしても気が散ってしまふかもしれない。読むのがしんどい。
読むのがしんどいが、究極のことが書かれてゐるので、だうしても確認しておきたい(笑)。
覚醒・悟り・非二元の本質のことが書かれてゐる。
トニー・パーソンズが極北とすれば、バーナデット・ロバーツは極南だ。
前に『無我の経験』を出したが、その本は体験談なのでわりと読みやすいが、今回の『自己とは何か?』はそれを論文調にしたものだ。
『無我の経験』はタイトルを間違へてしまった。原書のタイトルが”The Experience of No-self”といふもので『無自己の体験』とすべきだった。
今度、増刷する機会があればタイトルを変へようと思ふ。
なぜなら、『自己とは何か?』では「無我(No-Ego)」と「無自己(No-Self)」を明確に分けてゐるからだ。
がんばらないと。
他の本もたくさん編集者や著者を待たせてゐるので、気持ちはあせるばかり。
アフガニスタンのタリバンにしろ(タリバンは言はれてゐるほど悪ではないとも言はれてゐるが)、イスラム教にしろ、キリスト教にしろ、仏教にしろ、観念的な生き方はエゴイズムだ。
その最たるものは共産主義だ。観念のかたまり。観念の押し付け。エゴのかたまり。おぞましい。中国にしても北朝鮮にしても地獄の世界。
アフリカにしてもロシア、ベラルーシュも。
いったい何故こんな世の中になったのだらう。
マイクロプラスチックの問題にしてもその他の問題にしてもエゴから生み出された。
なぜ人はエゴの生き方をするやうになったのだらう。
あらゆる観念的な生き方はエゴイズム。
観念的な生き方から離れたとき、愛の可能性が広がる。
社内の人から「水攻撃」に対する違ふ見方を言はれた。
セッションルームの風呂場の水浸し事件は、書類は濡れてしまって廃棄するしかなくなってしまったが、見方を変へれば、風呂場を物置にせずにすっきりした状態にし波動をよくするために起ったことだ、と。
自宅の天井からポタポタ雨漏りして眠れないのも、「眠ってゐる場合じゃない。早く目覚めろ」というサインだと。
このところ連日のように起るいろいろな不成立やうまくいかないことも、3次元的な対応をしているだけではいけない、それでは「負の引き寄せ」の連鎖(負のスパイラル)を起こすだけ、もっとバージョンアップして霊的な次元も視野に入れないといけない、と。
自分には霊的な能力がないので、霊的能力のある人達の言ってゐることを伝へるのを役割としてやってきた。
自分も霊的能力がないなりにそれを働かせてやっていくしかなくなってきたのか。
すくなとも、もっと霊的視野で見ていって対応をしていく必要がある。
覚醒と同時にそっち系も視野に入れる必要が。
『あの世とこの世の仕組み』の著者の三上(三沢)さんからも、
非二元論より、霊的な「直日」や『よひとやむみな』のいふ心の中心に意識を向けたらと
言はれた。
これからは翻訳ものよりも「和」(日本)のものだと(笑)。
ただ、非二元(覚醒・悟り)はとても大事だと思ふ。物事の中心。
主観と客観の同時認識。そこから起る主客を超えた存在の認識。
すべての基底。
あるひは、自我の脱落(とつらく)による愛と神があらはになること。
さういふのが「直日」や心の中心(内在神)に通じるのかもしれないが。
まだ自分にはよくわからない。
「直日」のことをあまり考へてこなかった。