悟りの目安として

久しぶりの書き込み。

悟りの目安として、覚者にはストレスがないといふことが上げられる。
自分はストレスだらけ。故に悟ってゐない。(三段論法)

覚者は、ストレスを感じる自己がない。

自分は、ストレスで毎日酒びたり。アルコール漬けの日々。

ストレスを感じる自己(自我)がある。
いろいろな圧がある。
本が売れるのかどうか、支払いできるのかどうか、翻訳がイマイチ、ゲラを読むのが遅いという自分の能力の未熟さ、いろいろな企画への対応、苦情への対応、社員への対応・・・、
時間も遅れてばかり。
ストレスなく対応できればいいが、対応している自己なくして対応できるのか。
対応マシーンになっても疲れてしまふ。

ストレスを感じる自己(自我)がなければ、ストレスは感じないのか。

2 thoughts on “悟りの目安として”

  1. 今はいろいろと大変な時代ですので、心中お察しします。周波数で説明すればイライラするという周波数を外せばよいのではないかと思います。あと、これは私独自の見解なのですがお酒はストレス解消に使うのではなくいいことがあった時に飲むようにするのはいかかでしょうか。その方がお酒さんも喜ぶと思います。

    1. コメント、ありがとうございます!

      お酒との対し方も参考にさせていただきます。

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