大峠を越えるのに必要な身魂磨きとは

よひとやむみな』で穂乃子さんは、
「いよいよ大峠の時が来た。早く身魂を磨いておくれ。」
と語ってゐる。

大峠の時に、身魂を磨いておく必要があるといふことだが、これはだういふ意味なのだらう。
私の解釈では、大峠といふ相対世界の逆境に左右されない(怖れない)意識、心持ちを持つことであり、
そのことが身魂磨きを差してゐる。
別の箇所では、「意識の中心に神を祭りなさい」といふやうなことも語ってゐる。
神が意識の中心にあるとき、怖れの感情がない。怖れの感情を持ってゐること自体、
それは神の意識ではない証拠だ。
神が意識の中心にあるとき、大峠といふ相対世界の逆境に左右されない意識状態、心で
対応していくことができるのだ。
別の表現でいへば、怖れのない覚醒意識のことだ。

神が意識の中心にあること=怖れのない覚醒意識(相対を超えた超越意識)=身魂が磨かれてゐこと
といえる。