禅では頓悟を重要視する。1回の悟り・一瞥体験だけといふイメージがある。
もともとは1回だけの悟りを重視しなかった。大燈国師のように20年も橋の下で悟後の修行をした。白隠禅師は最初の一瞥体験(小悟?大悟?)のあと、何度も小悟・大悟を繰り返した。
グルジェフは、自己想起(一瞥体験)を長年修練しないと確立しないと言ふ。
一瞥体験の後、長年(20年~30年?)修練しないと本当の覚醒とは言へないといふのが真実のところだと思ふ。
中には短時間の人もゐるやうだが。ネドじゅんさんとか。
禅では頓悟を重要視する。1回の悟り・一瞥体験だけといふイメージがある。
もともとは1回だけの悟りを重視しなかった。大燈国師のように20年も橋の下で悟後の修行をした。白隠禅師は最初の一瞥体験(小悟?大悟?)のあと、何度も小悟・大悟を繰り返した。
グルジェフは、自己想起(一瞥体験)を長年修練しないと確立しないと言ふ。
一瞥体験の後、長年(20年~30年?)修練しないと本当の覚醒とは言へないといふのが真実のところだと思ふ。
中には短時間の人もゐるやうだが。ネドじゅんさんとか。
存在としては、観照者と観照される世界しかないのかもしれません。
観照される世界で、ああだかうだやってゐるだけ。
観照者から見たら、何の意味もない。善悪もない。ウクライナ問題もただの現象。