悟りと覚醒の違ひ

自分の解釈ではあるが、
悟りと覚醒は、ともに自他(主観と客観)を超えた超越者の認識だが、
悟りには「安心立命」があり、覚醒(一瞥)には安心立命がない。
覚醒には、不安も迷ひも苦しみもある。要は自我が抜け落ちてゐない。
悟りは自我が抜け落ちてゐるのだらう。

「神様、お助けください」

「神様、お助けください」は、つらいときに出る言葉だが、そのときに神(超越者)は感じられてゐない。神(超越者)は遠い存在になってゐる。うちにゐない。

うちに神(超越者)が圧倒的臨在(プレゼンス)をもって感じられるとき、「神様、お助けください」といふ言葉は出てこない。すでにそこで救はれてゐる。
幸福もそこにある。

なぜ神は去る(?)のか。
なぜ神は来るのか。

常に在る筈の神(超越者)が。

認識と内なる感覚と。

あぁ、人の能力のなさと未熟さと哀れさよ。
存在の切ない悲しさよ。
哀れ、哀れ、哀れ。