悟りは、マインドの働き外だから自分とは関係ない、と思ってゐたら無意味感におそわれ、何の喜びも感じられず楽しくない日々を過ごすことになった(苦)。
いったい人の喜びなり幸福なりとは何なのか?
ヒルティは『幸福論』の中で、神に心を向け、神のそば近くにあることが幸福だ、と言ってゐる。幸せの霊がやってくる、と。
「幸せの霊」とは「覚醒時の幸せ感」と通じるものがあるやうに思ふ。
クリシュナムルティは、観察者と観察されるものが一体となり解消され、思考が沈黙したときに至福があると言ってゐたやうな。
人は幸せ感がなくては生きられない。
悟り云々で、幸せがなくなるのなら何の意味もない。
それは本当の悟りではないのかもしれない。
神なり、超越者なり、覚醒なりを意識して、幸せを感じて生きていくにしくはない、のかもしれない。
https://youtu.be/8trFmTnDR74 元気を出してください。*\(^o^)/*
ありがとうございます。
ヒルティの『幸福論』第三巻を再読(要所読み)してから気が楽になりました(笑)。