運命がひらくとは・・・

運命をひらかうとして、運命がひらく人とひらかない人がゐるのかな。
運命がひらかない人は、ひらかうとしなかったのか、それとも、ひからうとしたけれどダメだったのか?
よくわからない。

自分も出版社をしようと思ったわけでもないのにすることになって、
いつの間にか22年が経った。
これを運命がひらいたといふのか。なんといふのか。

ただ、意図は持った。
会社を作ったら理念を持つのがいい、とよく経営書に書かれてゐて、それにならった形だ。
それが「人々の意識の目覚め(覚醒)に役立つ情報を提供し、より調和した社会になること」だった。
今も基本は変はってゐないけれど、後半に関してはペンディングだ。
人々の意識の目覚め(覚醒)は重要だが、社会については結果論だ。
意識が目覚めた結果として、社会はよくなるのだと思ふ。

この22年で、どれだけ人々の意識の目覚めに貢献できたのか・・・
自分自身が葛藤も多く、対人関係でもダメダメではあったが・・・、最低レベルの人間ではあるが。
なんでこんな人間が22年も続けてこれたのかは不思議。

自分自身の貢献はわからないけれど、多くの人々の貢献で意識は目覚めてきてゐると思ふ。

けふの1曲

文(ふみ)は人なり

「文は人なり」とはよく言はれるが、美しい文章を読むと良い音楽に触れたときのように心が安らぐ。

文章チェックでくたびれたときは、何も考えないでボーっとするが、時に美しい文章を
読んで、気持ちを落ち着かせえたりもする(笑)。

エマヌエルの書』も美しい文章だ。

最近、ときどきチラッと読むのが、須賀敦子の『ユルスナールの靴

まえにテレビで放映された須賀敦子の特集が良くてDVDも買ってしまった(笑)。

そこで語れる須賀敦子の文章が美しく、本を読んでみたいと思った。
また、そこで流れる今井信子のチェロもすばらしい。

須賀敦子の本は他のも読んでみたいが、なかなか読書する時間がない。

けふの1曲は、須賀敦子の本に合う今井信子のバッハにしよう。

取り残され?

スピ系のまわりの人たちは、一緒になってイベントをしたり、何か盛り上がってゐる?(笑)

自分は参加してゐない。

取り残され?(笑)

何の盛り上がりなのか理解できない。

人間の進化の道は、非二元への覚醒の道のやうに思ってゐるが、
非二元はまだ少数派だ。

しかし、非二元は本質であり、主流(本流)となるべきものと思ふ。
みんなで盛り上がるわけではないが(笑)。
盛り上がる主体もゐない(笑)。

では、けふの1曲(笑)

やること為すこと非難の対象

俺のやること為すことは、すべて非難の対象になる。
生きたここちがしない。

先日受けたスピリチュアル・テューチャーによるミニ・セッションでも
過去生でさんざん人を苦しめてきて、非難されてきて、
その影響で、不安感をいつも持ってゐると言はれた。
(不安感は、経営がいつどうなるかもわからないので不安といふのもある)

悪意でしてゐないのに、人に不愉快な思ひをさせる。
生きてゐるだけで迷惑を掛ける存在だ。

自分は存在価値がない。

存在価値はないが生きていかなくてはならない。
死ぬ勇気もないし、生命が生きようとしてゐる以上、従ふしかない。

まもなく発売される『エマヌエルの書』のサブタイトルは、
「この宇宙をやすらかに生きるために」だが、
全然やすらかでないので、もっとこの本から学ばなければならないのかもしれない。

愛のない世界に生きてゐる。
愛を信じられない世界に。

実際は、愛のある人とない人と中くらいの人が混在してゐる世界なのだらう。
その中で、愛が見出せれば救はれるのかもしれない。
どこにも見出されないときに、神に救ひを求めるのかもしれない。

今の心境(笑)。

監視の街

いつの間にか、街中が監視カメラで埋めつくされてゐる。

なぜ?

誰が許可した?

国会が議決したのか?

市議会が議決したのか?

監視カメラの所有者は誰か?

警察?

警察が見ることを市議会は許可したのか?

市民は許可したのか?

いつの間にか監視社会になってゐる。

善意がうらめに

いろいろ善意に考えて対処してもうらめになったり、
セッティングしたのに、ドタキャンされ、別の日にされたり、
お願いしたことがうまく伝わらなかったり、
あまり物事が進まない、さんざんな日

人のことは言へないが、その人たちは運を逃していくのだらうな。
運命の分かれ道

本を出したい人

スピに限らずだと思ふが、本を出したい人たちがゐる。

さういふ人たちは熱心で、どんどん言い寄ってくる(笑)。

(こちらが断ると手のひらを返すやうな反応をしたりもする。みんなではないが)

私としては、普遍的なもので、後の世まで残るやうな本を出していきたい。

著者のエゴを満足するやうな本は出したくない。
なんの意味もない。

翻弄されたくない。

スピリチュアル・ビジネス?

スピリチュアルをビジネスにしている人たちがゐる。
と、かう書くと自分もそれに該当してしまふ。

違ふ表現をすると、
スピリチュアルをビジネス(金儲け)と見てビジネスしている人たちがゐる。
最初にお金がくる人たち。

(それとは違って、スピリチュアルを自己(エゴ)実現の手段としてゐる人たちもゐる。
引き寄せの法則等を使って。ここでは話がそれるのでこの話はこれ以上書かない。)

自分も、この業界でやっていけるかなと思ひつつやり続けてゐるが、
金儲けでやってゐるのだらうか?
お金がたくさん入ってくるにこしたことはないが、
金儲けの手段としてスピリチュアルを扱ひたくない。

スピリチュアルとはお金とは本来関係ないものだ(と思ふ)。

理想とするところのものの追求や伝へること。
崇高なるものを大事と思ふこと。
自分は下卑たものであっても。

赤の本が多い

今月の新刊は赤の本が多い。
何が起きても、それを愛する』『分離なきものの愛のうた』のカバーは赤い。
それから、月末に出す予定の復刊『エマヌエルの書』もやや赤い。
7月頭に出す『子育てママの四柱推命』も赤がメインだ。

6月(7月4日まで)は午月で、午は火の五行で赤を表してゐる。

今回出す本は、月の五行に合致してゐるのだ(笑)。