今日は、ゲート氏の大阪ツアーのお話会に参加した。
出家、精神の出家について話されてゐた。
悟りを得るためにすべてを捨てるか否かを問ふてゐた。
捨てるものは、物質的なもの、感情的なもの、知性的(思考的)なもの。
それらがすべて捨てられたら、それ自体悟りだと思った。
道元禅師の心身脱落である。
自分にそれだけの真剣度があるのかどうか。
経営も厳しくてアップアップしているところで、悟り・覚醒への関わり方の度合いを問はれてゐる。
話題が変はるが、ゲート氏の話とは直接関係ないかもしれないが(あるかもしれないが)、話を聞いてゐて、
主観と客観の同時認識が覚醒ではあるが、その同時認識してゐる認識が客観(物質・対象世界)を
規定してゐるのかなと。
そこに「想ひは実現する」の秘密、認識論と存在論のの相関性のカギがあるのかもしれないと思った。
ゾクチェンのマスターが、悟りの認識を通して自分の身体を虹の身体に変性させていく秘訣は、
その辺にあるのかなと。