禅と(チベットの)ゾクチェンは、覚醒・明智(リクパ)で生きるといふ点では共通してゐる。悟りに関しても同じだ。
だが、禅師が死ぬ時は普通に死ぬだけだが、ゾクチェンのマスターは死ぬ時に「虹の体」となってエネルギー体となって死んでいく。
この違ひは何か?
禅と(チベットの)ゾクチェンは、覚醒・明智(リクパ)で生きるといふ点では共通してゐる。悟りに関しても同じだ。
だが、禅師が死ぬ時は普通に死ぬだけだが、ゾクチェンのマスターは死ぬ時に「虹の体」となってエネルギー体となって死んでいく。
この違ひは何か?
今井様
大変お世話になっております。
禅宗でも、『臨済録』に出てくる普化宗の祖の普化や、達磨、それから古神道の宮地水位などは、棺から身体が消滅・転移したようですので、「虹の身体」と同一と思われます。
また、私が学生の時に、中沢新一氏から直接お聞きした話ですと、禅とゾクチェンの目指すものとは異なるものではない、ということでした。
回答になりましたでしょうか。
吉田 正美(「Awakening Spirits」の翻訳者)
吉田様
お世話になっております。
禅宗での祖師や宮地水位の件、教えていただきましてありがとうございました!
覚醒(悟り)と身体が消えていく現象とどういう関わりがあるのか興味をおぼえています。
今後、解明されていくのかな。
よろしくお願いします。
今井