ブッダ自身の悟りの内容は不明だが、小乗仏教(上座部仏教)では人生は諦めるしかないみたいな教えで救ひはない。原始仏教(小乗仏教)と言はれるものには何の救ひもない。(救はれた人がゐたのかな)
覚的世界への言及もない。
空(くう)や唯識で悟りの世界を端的に示した大乗仏教は、悟り・覚醒の世界を如実に示してゐる。
後期仏教の密教では、氣やイメージを使った念力みたいなものになり悟りの世界から遠ざかった。
それをゾクチェンが悟り・覚醒の世界へと戻した。
禅もゾクチェンと共通のものがあり、密教や観念的な仏教から悟りのほうに戻した。
その禅も今では形式化し、悟り・覚醒にはつながらない。今は非二元・ノンデュアリティが悟り・覚醒を受け継いでゐる。
キリスト教神秘主義やイスラム教神秘主義(スーフィー)も覚醒・悟りを伝えてゐるが、今は非二元・ノンデュアリティだ。
非二元・ノンデュアリティを理解できない人は多いがやむを得ない。
霊能者も非二元・ノンデュアリティを理解できない。それは全然別のものだから。
基本、大元は、覚醒(主客を超えたものを感得すること)だ。
救ひがあるとしたらそこにしかなく、エゴがあるうちは救はれない。
エゴがあるうちは、主客を超えられないから。
エゴがあるうちは、救ひがないから。