地獄の国、中国

中国政府の言動といったら、呆れるくらい地に落ちてゐる。
それをわかっていて、頭のいい中国政府の連中が言ってゐるのだから、内実が知れる。

中国は、民主主義革命が起こらない限り、変はらない。地獄の国。
共産党独裁国家。

国民の中の大部分の人はいい人だと思ふ。
今までいろいろな中国人に接してきたけれど、みんないい人達だ。

中国共産党政府が地獄を作り出し、日本のみならずフィリピンや他の国々に迷惑といふか暴力を仕掛けてきてゐる。
最低の国。

中国のみならず、ロシアもイスラエル、他の人々の人権と自由を奪う国々のトップや体制の国は、地獄の国だ。

ロシアやイスラエルは民主制なのに、国民の意識レベルが低いのだらう。

神との対話ならぬ、神との対峙

久々の投稿。

神とは対話したことがない。
ただ、神とは常に対峙してゐるやうに思ふ。
「神よ、お助けください」「神よ、ありがとうございます」、常に神と対峙してゐる。

対峙してゐる神は、明らかでない(笑)。

万瞥(千瞥?数百瞥?)のうちに、世界はクリア(透明化)になっていく。

酔うと神との対峙が起こる(起こったりする)が、酔ってないとクリアな世界が開けてゆく。

相対界でいろいろなメソッドをしても、クリアな絶対界(相対を超えた世界)では、あまり意味がない。

相対界を超える?「虹の身体」も、だうなのか。なぜ気化するのか。

個人のある覚醒と個人のない覚醒

覚醒には、個人があるままで覚醒するのと、個人性が消えたままでの覚醒がある。
一瞥体験は、まだ個人が残っている。覚醒した瞬間は個人消えるが、すぐに個人に戻り、これは何なのだとなる。そして徐々に覚醒の間隔は薄れ、個人の生活に戻る。そして覚醒を追い求める。
でも、千瞥や万瞥をしていくうちに、個人性が消えたままの覚醒に切り替わる。個人性のないほうが主になり、時に個人性が出ても個人性のないほうに戻る。
ラマナ・マハルシやトニー・パーソンズあたりは、さうなのかな。

日本は四番目の覚醒の国?

前に覚醒系の外国人に聞いたとき、非二元・悟り・覚醒について人々が多いのは一番がオランダで二番目がイギリスと言っていた(どちらかが一、二番なのかな)。その次にアメリカ? その次が日本なのかな。ドイツはその次?

日本は四番目くらい。
一番覚醒が進んでゐるわけではない。

でも、最近は覚醒してゐる日本人も増えてきてゐるのかな。

日本が世界に影響を与えるとよくスピ界では言はれてゐるが、覚醒面では難しいのかな。他の国のほうが進んでゐるので。一部の国ではあるが。

日本の「和」の精神が世界に影響を与へるとスピ界では言っゐる。
他の世界では「和」の精神がないらしい。本当なのかな。

「和」の精神は、覚醒とはあまり関係がないかもしれないが、これからの世界を救ふためには必要なのかもしれない。

本質的には、覚醒が「和」の精神なのかもしれないが。

動画

最近、セッションをお願いしていて大好評のHARUMIさんに動画を勧められて、仕方なくやろうと思っています。

会社も厳しい状況なので、社長自ら本の宣伝をしないとけいないかなと。

言ふだけ言って、動画のチェックをしないで公開しやうと。
あとは動画担当者にお任せで。

表に出るタイプでもないし、話も下手なので、だうにでもなれと。

本の売上が上がれば(笑)。

上がらなければ動画も中止に。

サントリーには再度がっかり

新浪氏が「CBD」のサプリを持っていただけでサントリーを辞任しないといけないことになったのには、がっかりした。
違法でないのになぜ辞任しないといけないのか。

かつては、東北人を卑下する発言をサントリー(佐治敬三)はした。

体質が変なのか。

せっかくいいウィスキーを作ってゐるのに残念だ。
作ってゐる人たちは頑張ってゐると思ふので、経営陣がダメなんだらうな。

サントリーホールも、席によってはいい音がするが、席によっては石の壁で反響がひどくで聞いてゐられない。
石の壁を反射を弱める材質のものを当てはめてほしい。

サントリーは厳しいな。いいウィスキーを作ってゐるのに残念。他人(ひと)のことは言へないが。

覚醒体験の過程は、みんな大体共通してゐる

覚醒体験の過程は、みんな大体共通してゐるやうだ。

悟りや覚醒への興味からその系統の本を読んでいて、探求が始まり、煩悶し、何かのときに公園や喫茶店や何かのところで、自我が抜け落ちる経験(体験)をする。一瞥体験。
それがきっかけになり、何回か何万回かの一瞥(覚醒)体験を通して、非二元的な生き方を感得する。

西洋人、インド人、日本人を問わず、起こる。イスラム教徒(スーフィー)も。
仏教もヒンズー教もキリスト教もイスラム教もユダヤ教も関係ない。世界共通。

これからは、これが世界共通の生き方になる。

まったき愛と覚醒

まったき愛(純粋な愛)を行っているとき、覚醒が現れる。

愛は、自分の想いに浸らずに、他者を見る。自他を超えた全体で生きる。

覚醒は感覚であり、愛は心構えと行い(生き方)だ。

覚醒だけでは生き方につながらない。
悩み苦しみと入れ違ひの状態。

恒常的な覚醒(比較的大部分の時間の覚醒)を通して、愛の生き方を理解するようになる。

愛が真の生き方とわかれば迷いはない。
悟りとはこのことか。