覚醒夢

明晰夢は、自分が夢を見てゐることに気づいてゐる夢だ、
覚醒夢(自分が作った用語)は、それとは違って、夢の中で覚醒してゐること。
一瞥みたいな覚醒の経験が夢の中で起こってゐる。
夢であることには気づいてゐないが、覚醒してゐることには気づいてゐる。

こんなことってあるのだらうか?

一瞥なんてただの夢だといふ証拠か。

クリシュナムルティは夢を見ないと言ってゐたといふが。

覚者は夢を見ないのか。

ハリー(ハラランボス)さんが昇天した

私は何のために生きているのか?』の著者で『エソテリック・ティーチング』『エソテリック・プラクティス』の監修をしていただいた、そして、日本のダスカロスの会を指導していただいた画家のハリー(ハラランボス)・ランバートさんが昇天したといふことを伝へ聞いた。

書籍についてもいろいろ関わらせていただき、十数年前、キプロス島でのダスカロスの娘さんのパンナヨッタさんとの面会に同行していただき、いろいろサポートしていただいた。

無私の人で、とても優しい人でした。
多くの人に親しまれてゐました。

純粋で、真理のみを伝へやうとされ、ダスカロスの教へに忠実でした。

天国では、今頃、ダスカロスと会ってゐるかもしれません。

感謝にたへません。

天国で安らいだのち、われわれのためにサポートされんことを祈念します。

スクリーンを見てゐるものとは?

よく人生は映画にたとえられて、人生はスクリーン上の光の動きでしかないみたいなことが言はれる。
根底にある空(くう)、包括者の上で動いてゐるのだ。

では、そのスクリーンを見てゐるものとは誰か? 自分とはそのスクリーンではないのか?
スクリーン(対象)と自分(主体)との二つがあるのか。
その二つは一つなのか。
主体とはなにものか。

なぜ発生したのか。
気づいたら自分がゐた。

そして他者や他物があって、空があって、スクリーンがあって・・・

苦しみは手放さない

グルジェフは、人は他のものはすべて手放すが苦しみだけは手放さないと言った。

今日のゲート氏のお話会で、ゲート氏は苦しみを手放すことを強調していた。
グルジェフに通じると思った。

ゲート氏は、<私>が創造主なので苦しみを創り出す必要はないと言はれてゐた。
幸せを創ればよいと。

グルジェフは、人は為すことができないと言った。なぜなら機械だからと。
<私>に目覚めた真の人間だけが為すことができると。

<私>に目覚めなければならない。I AM(われ在り)

真剣度

今日は、ゲート氏の大阪ツアーのお話会に参加した。

出家、精神の出家について話されてゐた。

悟りを得るためにすべてを捨てるか否かを問ふてゐた。

捨てるものは、物質的なもの、感情的なもの、知性的(思考的)なもの。
それらがすべて捨てられたら、それ自体悟りだと思った。
道元禅師の心身脱落である。

自分にそれだけの真剣度があるのかどうか。
経営も厳しくてアップアップしているところで、悟り・覚醒への関わり方の度合いを問はれてゐる。

話題が変はるが、ゲート氏の話とは直接関係ないかもしれないが(あるかもしれないが)、話を聞いてゐて、
主観と客観の同時認識が覚醒ではあるが、その同時認識してゐる認識が客観(物質・対象世界)を
規定してゐるのかなと。
そこに「想ひは実現する」の秘密、認識論と存在論のの相関性のカギがあるのかもしれないと思った。

ゾクチェンのマスターが、悟りの認識を通して自分の身体を虹の身体に変性させていく秘訣は、
その辺にあるのかなと。

ほとんど雑用

仕事のほとんど(96%くらい)が雑用だ。

原稿のチェックもあまりできていない。
僕のところに入稿前のゲラがうず高く溜まってゐる(苦)。

月に出す本も調整しながらでないと出せないし。

雑用に追はれて、ほとんど何もできない・・・

労働者優遇社会

ちょっと、いろいろ暴言をはく。

裁判所はともかく(苦笑)、現代の日本の社会は労働者優遇の社会だ。
有給休暇があって、退職をすると有給休暇を消化して辞めていく。
働かなくてもお金がもらへる社会。
失業保険でお金ももらへる。

かたや経営者は生きるか死ぬかで非常に厳しい状況にある。
(すべての経営者ではないが。
一部の恵まれた、または優秀な経営者は優雅に生きてゐるかもしれないが。)
フリーの人も厳しい状況だらう。

昔は労働者が革命を起こして経営者を倒さうとしたといふが、
今は逆で、経営者が反革命を起こして労働者を何とかしないといけない状況か(苦)。
何とも言へないな。
(対立は好ましくない)

話は全然異なるが、
ベーシックインカム(生活に最低限必要なお金を国民全員に給付する)を導入したいと前の選挙で希望の党が公約で言ってゐたけれど、これが実現したら面白いことになるかもしれない。
ちょっと、だうなるか見てみたいかも。
希望の党が政権を取ってゐないので、いつ実現するか不明だが。
他の党も公約で掲げてくれるかな。

世を惑はす本

スピリチュアルの本の50%~80%は世を惑はす本のように思へる(推測)。

悪貨が良貨を駆逐するやうに、スピリチュアルの良書が惑はす本の隅に追いやられてゐる感じもする。

良書と言っても主観かもしれないが(笑)。

良書の定義ってなんだらう?
まず、言葉や文章に矛盾がないこと。
次に、エゴをくすぐらないこと。
さらに言へば、文章に力があるといふかセンスがあるといふか。あれっと言はせる文章力。
あとは、二番煎じでないこと。