スピリチュアル物語本

10月にディープなスピリチュアル物語本を2冊刊行する予定。それ以外にも覚醒本や日本ものも出す予定だが。

ディープなスピリチュアル物語本は、
トム・ブラウン・ジュニアの『スピリットに目覚める』
もう一つは19世紀末の金字塔的作品で人生を変えるほどの衝撃を与える『二つの惑星に生きて』

衝撃といえばどちらも衝撃的。

なんていふのかな、、、覚醒本とはまた違った(違ってゐない?)濃さと精神性。

なんなのだらう。このゆるがしかたは。

不快感の表現をしない

「不快感の表現をしない」とは、グルジェフの第二のショックのことで、〈私〉(I AM)の成長を促進するワークだ。
第一のショックは、自己想起(一瞥)。自己想起だけでは途中で成長がとまってしまふ。次の発展のためには「不快感の表現をしない」ワークが必要だとグルジェフは説く。

「不快感の表現をしない」とは、この世の事物に自己同一化しないことだ。自己同一化してゐると何かあるとついカッとなっていまふ。不快感を表現してしまふ。

今まで、不快感を表現しまくってゐた。短気でものを壊したりしてゐた。
今も不快感が出てしまふ。だが、前よりは出ないやうにしてゐる。
ちょっとだけ訓練ができてゐるのか。まうこの世のことはだうでもよくなったのか(苦笑)。
老化か。耄碌か。

この世の住人でなくなるにしたがって、〈私〉のキープ率が上がるのか。
キープ率といふのも変だが。

この世から離れる

覚醒とは、この世から離れること。

想いやこの世の事物に対しての自己同一化をやめること。

この世を客観的に見ること。
醒めて見ること。

牢獄から離れること。

醒めた人間として生きること。

この世は単なる意識の世界。

 

けふの1曲、ベートーベンのピアノソナタ19番(ギレリス演奏)

ベートーベンのピアノソナタは後期のものは深淵に達する見事な作品があるが、この19番は後期ではないが隠れた名品かな。

今年はベートーベン生誕250年といふ。
コロナの影響でいろいろな演奏会が中止になったと聞く。

陰謀論はこの世のスクリーンに自己同一化してゐる

スピ系の中の陰謀論の本がかなり売れてゐるといふ。

陰謀論の本は、この世のことにどっぷりつかってゐるやうに見える。
この世に自己同一化して、自分(自己)が忘れられてゐる。
つまり「眠ってゐる」。覚醒してゐない。

陰謀論に限らず、ほとんどのスピ本が、眠りの中で書かれてゐる。

老害

完了プロセス』があまり売れてない(苦)

若い編集者のタイトル案
『過去にとらわれて苦しんでいる人へ』
サブタイトル:トラウマから解放されるための「完了プロセス」
のはうがよかったのかな。

原書のタイトルと本の主題にとらわれてしまった(苦)。

もはや自分は老害でしかない。

千瞥、万瞥

いろいろ思ふやうにいかないと、自己想起(自己認識、I AM意識、一瞥)も起りやすい(笑)。

一瞥を何回も繰り返して、千瞥も万瞥もすれば「自己意識」から「客観意識」(悟り)へといけるのだらうか。

菩薩行

菩薩行といふと何か自力的なイメージがある。
自分が人を救ふ、みたいな。

ただ、救ふべき「自分」といふのはゐない。

みんなが悟るまでこの世界に残る、といふのは英雄的ではあるが、
「誰が」残るのか。誰も残らない。

自分がゐない以上、自分は無力だ。

では、誰が救ふのか。

自分を超えた力が、救ふのか。

神が救ふのか、キリストが救ふのか、阿弥陀如来が救ふのか。

救ひとは何なのか。
救はれるとは何なのか。

無力

無力、なんといふ響きか。
何も為すことができない。

すべては御心のままに(宇宙の流れのままに)。

ゆだねること(帰依・明け渡し)さへ無力だ。
ゆだねることさへできない。

 

無力であるがゆえにいらだつ。
ノートパソコンも勝手に変な動きをする(苦苦苦)。
なんなんだ。
こちらはそれに対して対処法もなく無力だ。