涙が出やすくなってきた

病気かもしれないが、最近涙が出やすくなってきた。
(涙もろくなってきた)

いつも目がうるんでしまふ。
何かあるとうるっとくる。
だうやって隠すか、わからないやうにするかにてこずる(笑)

年なのか。

 

けふの1曲、われらがSooBeen Leeのパガニーニの24 Caprices for Solo Violinの24番
(音と映像が少し合ってゐないが)

まう1曲おまけ。次回でもよかったが(笑)
アルゲリッチのプロコフィエフ、ピアノ協奏曲第3番 シンガポール交響楽団 2018年
才能のある人にはかなはない。

夏至 アルクトゥルスが天頂に輝いてゐる

今の季節、アルクトゥルスが天頂に輝いてゐる。
ややオレンジ色で真上を見ると見える星(20時頃)。

東のほうには琴座(リラ)のベガや白鳥座のデネブも。

アルクトゥルスは、トム・ケニオンのチャネリング情報の『アルクトゥルス人より地球人へ』でもお馴染みの星で、そこ出身の高次の存在達が地球人の進化のためにいろいろ関わってサポートしてくれてゐる(らしい)。

冬の星座のシリウスやオリオンやプレアデスは夜空から移り変わり、アルクトゥルス、リラ、ベガ、デネブ、スピカなどが見える夏の星座になった。

東京はあまり星は見えないが、幸ひにしてアルクトゥルスは見える。

星の存在達からの恩寵を感じつつ、思ひを馳せたい。

 

けふの1曲、セゴビアの『光なき練習曲』(「光のない練習曲」とも。けふのブログのタイトルとは反対のタイトルになってゐるが、笑)

別の人の演奏

Estudio sin luz“でYoutubeで検索するといろいろな演奏家が演奏してゐる。
セゴビア自身の演奏も(ちょっと早い?)。

 

精神の病

今日、帰りの電車のホームで、「チッ、チッ」とずっと言ってゐる人がゐた。

精神がちょっと病んでゐるのかなと思った。

自分も「クソー」とか「チクショー」とかを繰り返し言ってしまふことがある。
(電車のホームではないが)

精神の病に掛かってゐる人に対するのは大変だと思ふ。

自分も精神の病に掛かってゐるのか。

カントの『純粋理性批判』

今、教育テレビ(Eテレ?)でカントの『純粋理性批判』の番組を放映してゐるが、それを視てゐて大学時代、神保町の書店街を毎日のやうに逍遙してゐて、レクラム文庫のドイツ語のカントの『純粋理性批判』を見つけては感激してゐたことを憶ひ出した。

まう何十年前の話だ。

今、神保町に事務所を移転して感慨深いものがあるが、その何十年前の毎日のやうな古本屋巡りは今はしてゐない・・・

自分の心も變はったのか。

裁判官の常識は世間の非常識

何年か前に、社員の不当解雇だだうので裁判沙汰になった。

そのとき霞ヶ関の裁判所に行って、(元)社員とその弁護士と裁判官(3人)と事情聴取になったが(前もって元社員の弁護士からのああだかうだといふ論述の文書があったが)、その弁護士の言説を聞いて、また裁判官の言説を聞いて全然世間とは違ふ世界観が展開してゐると思った。
3人の裁判官もそれぞれ役割があるやうに見えた。
(こっちよりのやうな役割の人もゐた)

裁判(官)の世界といふのはかういふ世界なのだと歓心してしまった。
びっくりしてしまった。
「裁判官の常識は世間の非常識」

裁判に立ち会ったことのある人はみんなさう思ふと思ふ。

次に解雇した社員に訴へられたら、面白いのでまた裁判の席に立ちたいと思ふ。
こちらは弁護士は雇わなくてもいい。
今度はどんな非常識な世界観が繰り広げげらるのか。
別にこちらが負けてもいい。
また勉強になる。

なんでもいい。
(不謹慎? こちらはさうたう嫌なめにあった。苦)

 

マルタ・アルゲリッチのプロコフィエフ、ピアノ協奏曲第3番

スピ卒業?

たまに(よく?)スピ卒業といふ人がゐる。

僕にはわからない。

スピリチュアルって卒業できるものなの?
自分と本質的に関わってゐるもので、僕は卒業云々なんてないやうに思ってゐる。

スピ卒業といふ人は、物質的な生き方をする(に戻る)ということなのか?
二元の中で生き、眠りの世界で生きていくのだらうか。

無条件の愛についても考えること生きることをやめるのだらうか。

単にパワー・ストーンやアロマやその他波動系のスピリチュアル・グッズにはもう頼らない
といふことか。
それも極端な選択だ。

あるひは、うわついたスピリチュアルから離れるといふことか。
地に足のついてゐないスピリチュアルから?
シリウスだのアルクトゥルスだのプレアデスだのという話から離れるといふこと?

僕はもっとうわつきたい(笑)。
うわつけない性格ではあるが。

自己もうわついて、非二元の意識へと転回していきたい。

 

けふの1曲、Marc Coppey (マルク・コッペイ)のバッハ、無伴奏チェロ組曲

江戸時代?

なにかテレビを見ていて「江戸時代」といふ言葉が氣になった。
(今まで氣にしていなかったが)

江戸時代とは何か? 江戸といふ都市の時代?
江戸だけでなく日本中がある様式で生きていた時代だと思ふ。
それを江戸時代といふのは變。地方の視点がない。
徳川時代、徳川幕府時代と言ったほうがいいのではないか。
江戸時代といふのは江戸に幕府(政府)があったから?
室町時代も京都の室町に幕府があったから?
では、今は東京時代か? 東京に政府があるから。
明治時代、大正時代、昭和の世とかいふが、今は何時代?
時代区分とは何か?
体制の区分?
今は大きく見て近代か。
民主主義的体制か(まだ民本主義? 天皇をかついでゐるので君主制)。
(その辺をあやふやにしてゐる欺瞞の国、日本)

何か、文化として見えない時代。
何か、時代をつかめてゐない時代。

生き方の基準が見えてゐない。

スピ的な要素が入ったら時代は變はるのか?

文化も變はるのか?

文化が變はるのか、といふよりこの文化なき世に文化を作っていけるのか?

あるひは、文化の継續性とは?

 

けふの1曲、Yann Tiersen – Good Bye Lenin!

神は人を助けない

「神よ、お助けください!」
「神様、ありがとうございます」

いくらそんなことを(心の中で)言っても、神?は助けない。
神?は、宇宙の摂理を司るものであり、恣意的なことはしないのではないか。
もし恣意的なことをするならば宇宙の摂理は成り立たない。

138億光年の中のこんな小さな断片の願ひを叶えるために恣意が働くだらうか。

助けを求めたいといふのは、心が不安だからだ。
安心、安らぎを求めてゐるのだ。
外的状況の不安定さ、厳しさ。心の中における安らぎのなさ。

しかし、神は安らぎをもたらさない。

では、天使や守護霊は助けてくれるのか、安らぎをもららしてくれるのか。
(日本の神様は、大昔の先祖霊で人霊。そのような進化した人霊であれば
多少気象に影響を与えたり、人と人をつないだりはできるかもしれない。
龍みたいな自然霊と動物霊との中間みたいな存在も人の意を受けて気象には影響を
与えるのだらう)

外的サポートはあるかもしれないが、心に関してはその人自体の問題だ。
外部でだうすることもできない。

その人の内部で心が安らぐか否か。

不安感はだうしたら消えるのか。
安らぎはだうしららもたらされるのか。

悟ったら安らぐのか。

安心立命、、、いったいそれはなんなのか。

安らぎのないまま死んでいくのか。

やるだけやって(やれるだけやって)、不安のままのたれ死にか。
不安とともに死す。

自己が抜け落ちたら、不安も抜け落ちるのか。
不安だけが残るのか。

不安とは未知なるものに対すること。

 

けふの1曲、われらがÓlafur Arnalds の Happiness Does Not Waitちょっと山水さんの「私は龍になる」の曲に似てゐる(笑)

転調がいい。
(転調のことをよく理解はしていないが、苦)

風なのか。舞い上がり、舞い降りる。

コロナウイルスは分離と怖れをもたらした?

スピリチュアルの間では、分離から統合へと言はれてきてゐるが、コロナウイルスは人の距離を遠ざけ分離させ、ウイルスに対する恐怖心をもつ人が増えた。

怖れから愛へといふスピリチュアルの方向性にも反した事態?になってゐる。
これは感情の問題なので、冷静に対処すれば別に怖れる必要はないと思ふが、なぜ怖れるのだらう? 不思議。

分離から統合へ、怖れから愛へ といふ流れに反したい勢力にとっては今回はかっこうのものになった(笑)。多くの人はひっかかってしまったのかな。

コロナウイルス下で、統合や愛は説きにくい。世間の白い目や政府の方針や要請のもとでは。

かういふ状況下で人々の真価なり本性が見えてくるのだらうな。