うちはコロナ系の本を出してゐない(笑)

他社は、この時勢でコロナ本を出してゐるところもあるが、弊社はコロナ本を出してゐない。
時勢に乗るのが得意でないといふのもある。また、コロナに踊らされたくないといふのもある。

コロナはしかるべきところが指示を出し、冷静にしかるべき対処をするだけと思ってゐるので、弊社がどうのといふのはないやうに思ってゐる。

直接コロナではないが、コロナのことも含む企画の本もある(笑)。
まだ出すかだうか検討中だが。

時勢に乗るのが得意でないといいつつ、アセンション・ブームのときはアセンション本をたくさん出してきた(笑)。こちらがブームをともに作っていったところもあるのかな。

非二元(ノンデュアリティ)は、あきらかにこちらのほうで流行ってほしいと思って、次々と本を出してきた。流行るといふ表現は何だが、やうやく本質的なことが伝はる時代になってきたと思ひ、出してきてゐる。

スピリチュアル系の分野はほぼ出尽くしてゐる観もある。
これからは、より洗練していく時代かもしれない。
本物が残り、人々もより深く習熟していく時代。
逆にAI等で、仮想の世界にはまる人達もたくさん出てくる時代。
覚醒と仮想とが二極化していく時代。圧倒的に仮想にはまる人が多いと思ふが。
仮想も神の一部なのか・・・

疫病にしろ自然災害にしろ、先行きがあまり明るくない現代。

 

けふの1曲、György Ligeti – Sonate für Violoncello solo

歌に神が宿る

ひさかたぶりの投稿(苦笑)。
最近はお酒が弱くなってしまい、その分、投稿も少なくなってきてしまってゐる(笑)。

 

歌には神が宿りやすい?
カーペンターズの歌や他の歌手の歌にも神が宿ってゐるのを感じる。
何なのかな。良い悪いは別として。

神が宿ってゐるやうな人もたまに見かける。
良い悪いは別として。
すべての人に内なる神がゐるとか、すべては神だから人も神の一部だとかは別として。
何なのかな。

この地上にゐながら超越した世界(聖なるもの)をかいま見させてくれる。

 

 

それとは関係ないかもしれないけれど、まうちょっと自我よりかな、
けふの1曲
テルーの唄・手嶌葵、谷山浩子

涙が出やすくなってきた

病気かもしれないが、最近涙が出やすくなってきた。
(涙もろくなってきた)

いつも目がうるんでしまふ。
何かあるとうるっとくる。
だうやって隠すか、わからないやうにするかにてこずる(笑)

年なのか。

 

けふの1曲、われらがSooBeen Leeのパガニーニの24 Caprices for Solo Violinの24番
(音と映像が少し合ってゐないが)

まう1曲おまけ。次回でもよかったが(笑)
アルゲリッチのプロコフィエフ、ピアノ協奏曲第3番 シンガポール交響楽団 2018年
才能のある人にはかなはない。

夏至 アルクトゥルスが天頂に輝いてゐる

今の季節、アルクトゥルスが天頂に輝いてゐる。
ややオレンジ色で真上を見ると見える星(20時頃)。

東のほうには琴座(リラ)のベガや白鳥座のデネブも。

アルクトゥルスは、トム・ケニオンのチャネリング情報の『アルクトゥルス人より地球人へ』でもお馴染みの星で、そこ出身の高次の存在達が地球人の進化のためにいろいろ関わってサポートしてくれてゐる(らしい)。

冬の星座のシリウスやオリオンやプレアデスは夜空から移り変わり、アルクトゥルス、リラ、ベガ、デネブ、スピカなどが見える夏の星座になった。

東京はあまり星は見えないが、幸ひにしてアルクトゥルスは見える。

星の存在達からの恩寵を感じつつ、思ひを馳せたい。

 

けふの1曲、セゴビアの『光なき練習曲』(「光のない練習曲」とも。けふのブログのタイトルとは反対のタイトルになってゐるが、笑)

別の人の演奏

Estudio sin luz“でYoutubeで検索するといろいろな演奏家が演奏してゐる。
セゴビア自身の演奏も(ちょっと早い?)。

 

精神の病

今日、帰りの電車のホームで、「チッ、チッ」とずっと言ってゐる人がゐた。

精神がちょっと病んでゐるのかなと思った。

自分も「クソー」とか「チクショー」とかを繰り返し言ってしまふことがある。
(電車のホームではないが)

精神の病に掛かってゐる人に対するのは大変だと思ふ。

自分も精神の病に掛かってゐるのか。

カントの『純粋理性批判』

今、教育テレビ(Eテレ?)でカントの『純粋理性批判』の番組を放映してゐるが、それを視てゐて大学時代、神保町の書店街を毎日のやうに逍遙してゐて、レクラム文庫のドイツ語のカントの『純粋理性批判』を見つけては感激してゐたことを憶ひ出した。

まう何十年前の話だ。

今、神保町に事務所を移転して感慨深いものがあるが、その何十年前の毎日のやうな古本屋巡りは今はしてゐない・・・

自分の心も變はったのか。

裁判官の常識は世間の非常識

何年か前に、社員の不当解雇だだうので裁判沙汰になった。

そのとき霞ヶ関の裁判所に行って、(元)社員とその弁護士と裁判官(3人)と事情聴取になったが(前もって元社員の弁護士からのああだかうだといふ論述の文書があったが)、その弁護士の言説を聞いて、また裁判官の言説を聞いて全然世間とは違ふ世界観が展開してゐると思った。
3人の裁判官もそれぞれ役割があるやうに見えた。
(こっちよりのやうな役割の人もゐた)

裁判(官)の世界といふのはかういふ世界なのだと歓心してしまった。
びっくりしてしまった。
「裁判官の常識は世間の非常識」

裁判に立ち会ったことのある人はみんなさう思ふと思ふ。

次に解雇した社員に訴へられたら、面白いのでまた裁判の席に立ちたいと思ふ。
こちらは弁護士は雇わなくてもいい。
今度はどんな非常識な世界観が繰り広げげらるのか。
別にこちらが負けてもいい。
また勉強になる。

なんでもいい。
(不謹慎? こちらはさうたう嫌なめにあった。苦)

 

マルタ・アルゲリッチのプロコフィエフ、ピアノ協奏曲第3番

スピ卒業?

たまに(よく?)スピ卒業といふ人がゐる。

僕にはわからない。

スピリチュアルって卒業できるものなの?
自分と本質的に関わってゐるもので、僕は卒業云々なんてないやうに思ってゐる。

スピ卒業といふ人は、物質的な生き方をする(に戻る)ということなのか?
二元の中で生き、眠りの世界で生きていくのだらうか。

無条件の愛についても考えること生きることをやめるのだらうか。

単にパワー・ストーンやアロマやその他波動系のスピリチュアル・グッズにはもう頼らない
といふことか。
それも極端な選択だ。

あるひは、うわついたスピリチュアルから離れるといふことか。
地に足のついてゐないスピリチュアルから?
シリウスだのアルクトゥルスだのプレアデスだのという話から離れるといふこと?

僕はもっとうわつきたい(笑)。
うわつけない性格ではあるが。

自己もうわついて、非二元の意識へと転回していきたい。

 

けふの1曲、Marc Coppey (マルク・コッペイ)のバッハ、無伴奏チェロ組曲

江戸時代?

なにかテレビを見ていて「江戸時代」といふ言葉が氣になった。
(今まで氣にしていなかったが)

江戸時代とは何か? 江戸といふ都市の時代?
江戸だけでなく日本中がある様式で生きていた時代だと思ふ。
それを江戸時代といふのは變。地方の視点がない。
徳川時代、徳川幕府時代と言ったほうがいいのではないか。
江戸時代といふのは江戸に幕府(政府)があったから?
室町時代も京都の室町に幕府があったから?
では、今は東京時代か? 東京に政府があるから。
明治時代、大正時代、昭和の世とかいふが、今は何時代?
時代区分とは何か?
体制の区分?
今は大きく見て近代か。
民主主義的体制か(まだ民本主義? 天皇をかついでゐるので君主制)。
(その辺をあやふやにしてゐる欺瞞の国、日本)

何か、文化として見えない時代。
何か、時代をつかめてゐない時代。

生き方の基準が見えてゐない。

スピ的な要素が入ったら時代は變はるのか?

文化も變はるのか?

文化が變はるのか、といふよりこの文化なき世に文化を作っていけるのか?

あるひは、文化の継續性とは?

 

けふの1曲、Yann Tiersen – Good Bye Lenin!