エネルギーの枯渇

このところ、許容量オーバーの仕事量で、エネルギーが枯渇ぎみだった。

ジャスムヒーンさんのワークショップに出て、何かエネルギーが補充されたように感じた(笑)。

ジャスムヒーンさん自身、プラナで生きてゐるので、そのエネルギーのまわし方、使い方、および場の設定で、エネルギーが補充のできたのかもしれない。

仕事でエネルギーを出す一方では、エネルギーが枯渇していまふ。
エネルギーを補充しつつ、エネルギーを出していかないとバランスがとれない。
これからは、エネルギー補充も念頭におきながら仕事にエネルギーを使おう。

それにしてもキャパオーバーなので、状況を何とかしないといけない。
原稿の山、いろいろな課題の山で、処理しきれない。
あんまり仕事のない状態になりたい。
山間部にでも引っ込むか。

日本人の成熟度

久々の投稿(笑)

今月『今だからわかること』(ウエイン・ダイアー著)を刊行したが、反応はイマイチ?
今まで三笠書房さんで自己啓発系でスピリチュアル色を消して出していたが(渡部昇一さん、ブー)、近年、ダイヤモンド社さんがスピリチュアル込みで出してきていたが、もろ本格的な邦訳はこの本なのかな。

ウエイン・ダイアーさんのスピリチュアルな本質が丸出しの本。

人が成熟していくとはだういふことかがわかる。

自分自身、全然成熟してゐないが、日本人は成熟といふことに関して、どれだけ関心があるのかな。

人生の深まり。

これから、さういふ方面の本も出していく予定(笑)。

浅いスピリチュアルとは違ふ方向。

非二元と、成熟した深まりと。

浅いスピリチュアルも対応しないといけないけれど(笑)。

何でも遺産化する(苦)

世界遺産とか文化遺産とか○○遺産とか、最近、遺産化が流行ってゐる。
だういふ心境なのか?

過去の遺物にするつもりか。

ポンペイ等の過去の遺物であれば遺産でいいが、現在も生き続けてゐるものに遺産といふのは変な感じがする。

自然遺産なんて変過ぎ。自然は今も生きてゐる。なぜ遺産なのか(苦)。

遺産化すると何か固定されたものになる。
身動きが取れなくなる。

思念的なもの。
覚醒をさまたげる。

温養と結晶化

久しぶりの投稿(笑)。

連日、飲み過ぎで書く余裕がない(苦笑)。

頭も身体もフラフラ状態。

1日、200~300件くらいのメールのチェックと対応で神経を使ひ、それ以外の仕事もいろいろあり、プラスつき合いの飲み会、プラス、ストレスによるひとり家飲みもあり、全然原稿の確認が追いつかない。関係者にはご迷惑を掛けてゐる。ご迷惑だけでなく本もなかなか出せないでゐる。
新規の出版依頼の原稿は見る余裕が全然ない。
来年の後半まで出版スケジュールが埋まってゐる。(それでも追いつかないか・・・)

話が本題になかなかいかない(笑)。

一瞥からノーマインドまでの悟りの流れの中で、
温養と結晶化といふものがある。
結晶化するまで早い人は数ヶ月?から数十年掛かる。中には今生で結晶化しない人もゐると思ふ。
一瞥から覚的主体(グルジェフの「不死の私」)を確立(結晶化)するまで温養期間が要る。
かなり掛かると思ふ(個人的な所感では)。

覚的主体、不死の私、を育てることは何も知らないと紆余曲折するし、いろいろ調べたり模索してゐるうちに時間が過ぎてゆく。そして確立〈結晶化)しないままに死んでいくかもしれない。

人生で意識的に死んだほうが確立(結晶化)しやすいかもしれない。

悟りとは死ぬこと

悟りとは死ぬこと、といふと山本常朝の『葉隠』の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」を想い起こすが、ラマナ・マハルシは十代のときに、自分が死ぬといふことを見つめて真我に至った。

死を見つめることは、悟りにつながる。

死は肉体の死といふよりも自我の死だ。

自我が死んだときに残るもの。

死を通して、生死を超えたものを見出す。

無の地平

社長失格

このブログはスピリチュアルの本を出してゐる出版社の社長が書くブログとしてはふさはしくない、と言はれたと言はれた(呵呵大笑)。

社長失格である。

性格が変で、経営能力もなく、運だけで勢いできたので、まうだうしやうもない。
変な文章しか書けない。

最近は、勢いよりも死を見つめつつやってゐる感もあるが。

今まで(これからも)目覚め(覚醒)へと意識の変換を促す方向につながるものを提供していかうとしてきたが。
自分は人間ができてゐないからしょうがないな。
意識が変換したからだうなのか、といふところもある(笑)。
いい世の中になるのか。

こんな情熱社長もゐる。
先日、六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで、世界から21丁のストラディヴァリウスを集めた「ストラディヴァリウス 300年目のキセキ展」があって見に行った。
それを実現した33歳の「日本ヴァイオリン」の社長の中澤創太さんの情熱がすごい。
クレモナ市バイオリン博物館の館長に会うために、待ち伏せで50杯くらいコーヒーを飲み続けたといふ。他にもその展覧会を実現するためにねばりにねばり続けた。まう脱帽である。
ここのその記事がある。
https://mainichi.jp/articles/20180927/mog/00m/040/008000c

玉石混淆の時代

1990年代は、スピリチュアル界も割りと特化した質のいいものが多かったやうに思ふ(全体としては数は少なかったが)。

しかし今は、まう玉石混淆で、情報はネットでも書籍でもものすごく多くて、質はバラバラ。
数の多さで、質のいいものが埋もれてしまってゐるのか、見えにくい時代だ。
質がいいものがあるのかもわからない。

なぜ今の時代、これでもかと言はんばかりに情報を投入するのだらう。

玉石混淆で先も見通せない。

見通せない時代を生きていくしかない。

出版社としては、時代を切り拓いたり、見通しを示したりする役割があると思ふが(笑)。
これでは失格だ(苦)。