怒り

知らない人から、うちの会社に関係のないとんちんかんなことで怒りの電話が会社に掛かってきた。
うちと関係ないことで何かあったのかもしれない。関係ないことで怒られるスタッフもたまったものではない。
怒りをもつ人は、何か心に傷を持ったゆえに過剰に反応し、関係ないところにまで怒りを向ける。
怒りをぶつけられたほうは、とんでもない被害だが、怒りをぶつけるほうは心に傷を持つ可哀そうな人だ。

昨日の放映してゐた『日本人のお名前』といふテレビ番組で、エールの元の意味は「大声で叫ぶ」といふ意味と言ってゐた。

その後、眠りにつき、何かの夢をみて、その中で怒りで叫んでいたが、それが夢を飛び越してこの世界でも大声で叫びを上げてしまった。「バカヤロー」と(笑)。
それで目を覚ました。

自分自身の中にも怒りが溜まっていたのかもしれない。
いつも怒(いか)っているのかもしれない。酒を飲むとそれが高じてものに怒りをぶつける。
物事がうまくいかないことへの怒り。
「だうしてうまくいかなんだ!」「だうしてさうなんだ!」

今朝の「大声での叫び」は初めての体験(笑)。

怒り(大声で叫ぶ)の連鎖なのか、シンクロなのか(苦)。

怒りではなく、大声で叫ぶのは、胸につかえが取れていいのかもしれないが。

信仰とは?

信仰は、神なり仏なりに自分が対するもので二元的なものだ。主客を超えてゐない。
主客を超えたところには信仰はない。

ただ、神(仏)という記号(暗号)を通して、主客を超えたものに対する「意識の開き」をもたらすといふ意味では、この主客の相対世界に属している信仰とは一線を画している信仰といふものもあるのかもしれない。
それをヤスパースは「哲学的信仰」と言っていたのかな。

 

けふの1曲、With or Without You

悟りとは?

覚醒(意識の覚醒)は、主観と客観を超えた何かの認識だが、それを得たからといって、迷ひから抜け出せるわけではない。
迷ひがある限り、悟りではない。

「神よ、だうしたらよいのか?」
これは悟りではない。

迷わなくなることが悟りだが、だうすれば迷わなくなるのか。

思考の中で生きてゐる限り、迷ひはなくならない。
常に「だうしたらよいか」の世界だ。

迷はなくなるためには、思考から抜け出さなければならない。
必要なときに思考は働けばいいが、それ以外は思考の中にゐる必要はない。

思考なく生きること、それが悟りなのだと思ふ。

 

けふの1曲 Hello – Adele Cover for Cello and Viola | Nathan Chan and ThatViolaKid

スウェーデン式

コロナの対処策として国によって違ふやうだ。
多くの国は封鎖(ロックダウン)と外出禁止の措置をとっているが、どこかのニュース記事1ほかの記事)によると、
スウェーデンは、コロナと共に歩む政策をとってゐるといふ。
外出自由だ。お店もオープン。

日本は、折衷的なところ?(ややスウェーデンより?)。

ロックダウン式かスウェーデン式か、どうちが功を奏するか。

早く免疫ができる道が進化の道(生き残りの道)か・・・

 

けふの音楽(前も紹介したか忘れたけれど)、ヘンデルのサラバンド

ブッダの誕生日とスーパームーン

ちょっと時間が過ぎてしまったが、4月8日はブッダの誕生日と言はれてゐる。
一説には、4月か5月の満月(ウエサク)の日とも言われてゐる。
(北伝仏教では、ブッダの誕生日が4月8日、悟った日が12月8日、なくなった日が旧暦の2月15日。南伝仏教では、誕生日と悟った日となくなった日がともにウエサクの日)
そして今年の4月8日はスーパームーン。

シッダールタがブッダ(悟った人)になり、その悟り(覚醒)が全世界に認知されるやうになった。
それまでは一部の人に知られてゐただけだったかもしれない「覚醒」が周知のものとなった。
その功績は大きい。

自分は悟ってゐないけれど、「覚醒」の本をたくさん出して世の人々に認知してもらって、覚醒してもらって、世界認識が変わり(5次元意識になり、時空を超え)、超越者(神)と一つになる(神に帰る)助けになれればと思ふ。
自分も悟らないといけないけれど(笑)。
自分もなく悟りもないけれど。

三密

今、三密はコロナで違ふ意味になっているが、前(今まで)は密教の三密加持の三密。
身口意(しんくい)の三つ、グルジェフ的には、動作センターと感情センターと思考センター。
それら三つをブッダ(覚醒意識)と同じものにしていくということ。
覚醒意識で、考へ、感じ、動く。
即身成仏(いまここで覚醒する。覚醒して生きる)。

こっちの三密まで、意識が行ってくれたらいいのだが。

コロナと愛

新型コロナウィルスは、人々を分断させてしまった。お互いに接しないようにさせてゐる。
人々に壁を作らさせてゐる。
愛とは反対の方向にもっていかうとしてゐるかのやうだ。

311のときは、助けに向かえたが、今回はお互いを助け合えない(あえにくい)。
買い物(マスクやトイレットペーパーなど)を買い占めしないくらいの助け合い。

スピリチュアル系の人たちは、コロナを前にして今回だうしようとしてゐるかといふと、
祈りなりをしようとしてゐる。

自分はだうしてゐるかといふと、淡々と冷静に見てゐるだけ。
マスクも手に入らないのでマスクをしてゐない。
アルコールを体内に入れて消毒してゐるだけ(笑)。
昨日も飲み過ぎて変なことを書いたやうだが、何を書いたか憶えてゐない。見たくもない(苦)。
全然、冷静じゃないか(笑)。