記憶と不快感

今日も嫌なことがあった。
(開運行為を昨日行ったが、全然効果がなかったか、好転反応か)
その記憶で不愉快な気持ちが続いてしまった。

不快感の表現をしない訓練をするにはいい機会ではある(苦笑)。
さういふ意味では感謝だ(苦)。

よく禅僧の話で、弟子が何かの記憶(食べ物等)にひきづられてゐて、
それを禅僧が諫める話があるが、自分も記憶にひきづられてしまふ。
だうでもいいと思へればいいのだが、記憶がよみがえってきてどうしようもなくなる。
それでも不快感の表現はしないやうにしようと思ふ(苦)。
禅僧は記憶を超越してゐるのか、忘れてしまふのか。感じないのか。

不快感を表現しない訓練中が、グルジェフのいふ「人間第4番」の状態だ。
不快感を表現しない禅僧は「人間第5番」だ。

早く渡りきりたい。

不快感を表現してきた人生が長いな・・・

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