『完了プロセス』があまり売れてない(苦)
若い編集者のタイトル案
『過去にとらわれて苦しんでいる人へ』
サブタイトル:トラウマから解放されるための「完了プロセス」
のはうがよかったのかな。
原書のタイトルと本の主題にとらわれてしまった(苦)。
もはや自分は老害でしかない。
『完了プロセス』があまり売れてない(苦)
若い編集者のタイトル案
『過去にとらわれて苦しんでいる人へ』
サブタイトル:トラウマから解放されるための「完了プロセス」
のはうがよかったのかな。
原書のタイトルと本の主題にとらわれてしまった(苦)。
もはや自分は老害でしかない。
いろいろ思ふやうにいかないと、自己想起(自己認識、I AM意識、一瞥)も起りやすい(笑)。
一瞥を何回も繰り返して、千瞥も万瞥もすれば「自己意識」から「客観意識」(悟り)へといけるのだらうか。
この宇宙の138億光年の年代からしたら、一日の些細なことは、ほんの一瞬のことにすぎない。
あぁ。
菩薩行といふと何か自力的なイメージがある。
自分が人を救ふ、みたいな。
ただ、救ふべき「自分」といふのはゐない。
みんなが悟るまでこの世界に残る、といふのは英雄的ではあるが、
「誰が」残るのか。誰も残らない。
自分がゐない以上、自分は無力だ。
では、誰が救ふのか。
自分を超えた力が、救ふのか。
神が救ふのか、キリストが救ふのか、阿弥陀如来が救ふのか。
救ひとは何なのか。
救はれるとは何なのか。
無力、なんといふ響きか。
何も為すことができない。
すべては御心のままに(宇宙の流れのままに)。
ゆだねること(帰依・明け渡し)さへ無力だ。
ゆだねることさへできない。
無力であるがゆえにいらだつ。
ノートパソコンも勝手に変な動きをする(苦苦苦)。
なんなんだ。
こちらはそれに対して対処法もなく無力だ。
あるすぐれた人達は、隠れて世の中のためにいろいろな活動をしてゐる。
重要な任務を背負ってゐる。
大いに尊重し、尊敬する。
それに比べれば、自分なんかは公に活動し、なんの任務も背負ってゐない(笑)。
単に好き勝手をしてゐるにすぎない。
世の中に楔(くさび)なんか打ってゐない。
読者に何か役立つ情報を提供してゐるが、それは本やワークショップの先生がすぐれてゐるから。
提供元は、単なる凡人。いや不道徳なダメ人間。
世の中に楔(くさび)は打ちつつも、あへなく撃沈。
世の中の亀裂・・・
そこで見えてくるもの、意識の目覚め
なにか今のスピリチュアル(業界and出版)は、虚飾に満ちてゐるやうに見える。
本当に虚飾かはわからない。
みんな一生懸命でスピリチュアルが好きで、さういふのをみんなに伝へたいと思ってゐる。
それは事実。
でも虚飾感を感じる。
本当のものでないやうに感じる。
ただの願望達成?
真のものが少ない?
そのやうな中で自分も生きてゐる(苦)。
Youtubeでグルジェフの音楽を探そうしいていたら、グルジェフ本人が映ってゐる動画があった。
Gurdjieff – Rare Remarkable
動いてゐる姿を初めて見た(笑)。
やはり存在感がある。
存在の重み。
3つのセンターを統御する〈不変の私〉を確立してゐるのだらうか。
まう一つ、グルジェフの曲
10月に出す新刊のタイトルが『無力の道(無力さの道)』
ゲラをチェックしていると、いかに人間は無力かということがわかる。
無力なのにできると思い込んでゐる(笑)。
そこに迷妄がある。
無力を自覚し、自己を超えたものにゆだねなければならない。
サレンダー(明け渡し、帰依)。
グルジェフは、「人間は機械だ。為すことはできない」と言った。
それにも通じるのかもしれない。
そして、「為すためには、目覚めなければならない」と。
こちらは「自己知」の道だ。
自己知によって、機械性の世界から超越する。
覚醒・神への道のふたつ。サレンダーと自己知
けふの1曲、グルジェフ作曲のピアノ曲
キリストは、自他を超越した意識といふよりもこの世に対して何か超越的な救ひをもたらす。
自他を超えたといふよりも、その人に寄り添って救ふ感じ?
垂直的なもの。
非二元は垂直的ではない。包括的な感じ。
キリストの垂直的にぐっさりくるこの感じとは何か。
多次元的?