心のわかちあひ?

心のわかちあひが、喜びのやうに感じられるが、でもそれがエゴや願望のわかちあひなら何の興味もない。
心をわかちあふって何をわかちあふのか、相手の純粋な心に対する共感なのか。
純粋な心とは何なのだらう?
何か神や愛に通じるものなのだらうか。

 

けふの1曲
ビーバーのパッサカリア(Biber Passacaglia)
いろいろな人が演奏してゐるが、今回はDmitry Sinkovskyの演奏で。

日本は学問や研究にあまり投資してゐない。

日本は、消費税を導入してから失われた30年間を生きてゐる。
その間、学問や研究機関にお金を投入せず、世界的に学問レベルが落ちてゐる。
最近よく大学のランキングの記事を見るが、日本の大学は世界の大学のレベルからすると結構下だ。
日本の政治家は何をやってゐるのだらうと思ふ。

税制や経済政策を間違い、研究にお金を使はず、文化も栄えず、低レベル国家になってゐる。

嘆いてもしょうがないが、しょうがなくても嘆く。

目覚めた人が増えると、国も変はっていくのか。

魂を癒す時代から磨く時代へ

今までの「癒し」がスピリチュアルの主流的な感じだったが、これから「魂磨き」を主流にしていきたい。
よひとやむみな』や『魂の実践』、そして1月刊行予定の『よひとやむみな 身魂磨き実践法』等、「魂磨き」の本が続々出始めてゐる。

みんな「魂磨き」をするやうになってほしい。

人間とは

ここに書いてゐるのは戯言(ざれごと)だが、
人間とは何なのだらう。

『イワンのばか』的な人もゐれば『カラマーゾフの兄弟』的な人もゐれば『桜の園』的な人もゐる。

個人的にはチェーホフ的な人間は気楽でいいかなと思ふが(注付き。時に哀愁をおびるが)、イワンには頭が下がり、ドストエフスキー的人間には閉口する(えぐられる)。
それぞれ人間を描ききってゐる。

人間は多様である。

(多様な人間の中で会社経営もしてゐかなくてはならない、苦)

 

けふの1曲。われらがロシアのヴァイオリニストGalina Barinova
バッハのSonata No. 2 for Violin and Harpsichord in A Major, BWV 1015: I. Andante

最早われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり

パウロの言葉に「最早われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり」といふのがある(ガラテヤ2・20)。

これは『よひとやむみな』のエゴを捨て内なる神が生きるようにする、と同じ意味。
うちに神があって、それが働くようにする。エゴはそれに仕え、邪魔しないやうにする。
「身魂磨き」とはこれのこと。

オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』では、練習中のヘリゲルがいい動きをしたときに師がそこに仏陀を見、お辞儀をするシーンがある。
これも、うちなる仏陀・キリスト・神が働いたものだらう。

神が宿る、ともいふ。
入神。神が入ってゐる。

覚醒(一瞥)によって、外なる神を見出し、やがてエゴが抜け落ちていくと内に神を見出す。
バーナデット・ロバーツの『無自己の体験』『自己とは何か』で、その流れがわかる。

自分は全然、神が生ききれてゐない。

 

けふの1曲:Arvo Pärt: Für Anna Maria

満たされない自己

「満たされない自己」が満たされようと欲し欲し欲しまくる。
代替として食べ物で、酒で満たそうとする。
食べて食べて、呑んで呑んで呑みまくる。
酔ひつぶれる。
感覚が麻痺する。

「満たされない自己」とは何か?
通常の「自己」と同じものなのか。
周辺の思念体なのか。

台風の目の中心には「満たされない自己」はないのか。

「満たされない自己」を客観視すれば消えるのか。

世界の諸問題の根源は「満たされない自己」だ。

 

けふの1曲はヴィターリのシャコンヌ(たびたび登場するが)
ヴァイオリンはDaniel Auner、パイプオルガンはHannfried Lucke