破壊衝動

何か不愉快なこと、うまくいかないこと、頭にくることがあると、破壊衝動でものにあたり壊してしまふ。

前は携帯を地面に投げつけて何個か壊した。
今は携帯は壊さないが、いろいろなものを蹴ったり、壁を叩いたり、何でもかんでも小物も本も投げ飛ばしてしまふ。

まう条件反射的だ。

ものごとを作っていくことに携わりながら、うまくいかないと破壊しまくる。
叫ぶ。

情動の爆発。

親や先祖からの連鎖でもあるのだらう。

だうしやうもない反射システムだ。

短氣は損氣ともいふが、たしかにさうだ。

人類は破壊しまくりの歴史だ。
自分の中にも組み込まれてゐる。

自分には愛がない。
慈善活動家の側面もない。

奉仕の気持ちはあるが。
出版の仕事も奉仕のやうなものだ。

 

けふの1曲 ドビュッシー「夢」

破壊のあとやうな・・・

いざとなったときに

普段、自堕落な生活、生き方をしてゐるが、いざとなったときに何か人のためになることができたらと思ふ。

普段の生活ではなかなか琴線に触れる機会はないが、本当はいつも琴線に触れて生きてゐるはうがいいのかもしれない。

いざとなったときに誹謗中傷する人、いざとなったときに人のために何かをする人・・・
いざとなったときに、その人の人間性が現れる。

人の醜さ、美しさ。

神はどこに現れるか・・・

どちらにも現れるのだらうけれど。

人の詩と真実。

 

けふの1曲、ベタですが、Jupiter – 平原綾香

まう1曲、花は咲く

人生は夢みたいなもの

この人生の数十年、人類の歴史の数千年、ヒューマノイドとしての銀河間の歴史、数百万年。

すべて夢みたいなもの。

死してだうなるか・・・

 

弊社で『天使のレクチャー』といふ本を出させていただいたヒロコ・アイザックスさんが先日、向かうの世界へと旅立たれた。最後に綴ったブログ

若くして旅立たれた。

向かうの世界で安らかでありますやうに。

 

辻氏も若くして行ってしまった。

 

人生とは夢に生きて死んでいくことか・・・

 

けふの1曲、「カイザー 練習曲 第2番

別バージョン

ウエサク

けふは5月の満月、ウエサク祭。
ブッダが悟りを開いた日とも言はれる。

アセンション・ブームの頃は、アセンションを祝ふ日として各場所でお祝ひが行はれてゐた。

ちょっとひと昔の話。ちょっと懐かしい。

今は、悟り(覚醒)のお祝ひの日?
非二元について改めて考へてみる日。

常日頃、非二元で生きてゐる人にとっては普通だが、それ以外の人にとっては、覚醒(自他を超えた意識)に目覚めるためのきっかけになる日。
高次元の存在達もサポートをしてくれる日なのかな(笑)。

 

コロナも収束に向ひつつあるやうにみえる。
4日に5月末まで緊急事態宣言を延ばすと政府は言ったが、7日から各自治体は通常の在り方にしてゐっているところが多い。政府もこの収束に延期を言ったもののすぐに見直しを言い出した(笑)。
政府はあまり見えてゐない。あてにできない。政府の対応はよくわからない。
お店の人達はたいへんだ。

薬も認可されだして6月くらいからは対処法もできてゐるかもしれない。
来年にはワクチンもできて、来年からのコロナ対策も大丈夫かもしれない。

一人10万円の支給といふことだが、この際、ベーシックインカムを導入したらだうだらう?
生活は最低限保障する、と。
(スペインは導入した?)
さうすれば、どんなことになっても国民は安心するのでは?
最低限、食べて住むのに困らなければ、あとは自由に仕事をすればいいだけ。
アフターコロナは、ベーシックインカムで。

アフターコロナと最近よく聞くやうになったな(笑)。

 

けふの1曲、Asturias (Isaac Albéniz) – Alexandra Whittingham

コロナウイルスに対してスピリチュアルができることは?

新型コロナウイルスに対してスピリチュアルができることは少ないやうに思ふ。

瞑想によって免疫力をアップするくらい?
(弊社でもいくつかスピリチュアルティーチャーの方法を紹介しているが)

コロナウイルスの事態で人類は、社会はだうなったか?
人々の愛は発揮されたのか、意識は目覚めたのか。
ウイルスに対する恐怖心しか生じてゐないのか。

怖れから愛へ、といふのがスピリチュアルのテーマの一つだが、
現状、怖れだけで愛に変はってゐないやうに見える。

今回のコロナウイルスは疲労しか生んでゐないやうに見える。

薬やワクチンが開発されれば解決することなのかもしれないけれど、
今回のことでスピリチュアルな対し方があるのであれば・・・。

スピリチュアルは人々にとって、今回は瞑想以外は無力なのか・・・

怒り

知らない人から、うちの会社に関係のないとんちんかんなことで怒りの電話が会社に掛かってきた。
うちと関係ないことで何かあったのかもしれない。関係ないことで怒られるスタッフもたまったものではない。
怒りをもつ人は、何か心に傷を持ったゆえに過剰に反応し、関係ないところにまで怒りを向ける。
怒りをぶつけられたほうは、とんでもない被害だが、怒りをぶつけるほうは心に傷を持つ可哀そうな人だ。

昨日の放映してゐた『日本人のお名前』といふテレビ番組で、エールの元の意味は「大声で叫ぶ」といふ意味と言ってゐた。

その後、眠りにつき、何かの夢をみて、その中で怒りで叫んでいたが、それが夢を飛び越してこの世界でも大声で叫びを上げてしまった。「バカヤロー」と(笑)。
それで目を覚ました。

自分自身の中にも怒りが溜まっていたのかもしれない。
いつも怒(いか)っているのかもしれない。酒を飲むとそれが高じてものに怒りをぶつける。
物事がうまくいかないことへの怒り。
「だうしてうまくいかなんだ!」「だうしてさうなんだ!」

今朝の「大声での叫び」は初めての体験(笑)。

怒り(大声で叫ぶ)の連鎖なのか、シンクロなのか(苦)。

怒りではなく、大声で叫ぶのは、胸につかえが取れていいのかもしれないが。

信仰とは?

信仰は、神なり仏なりに自分が対するもので二元的なものだ。主客を超えてゐない。
主客を超えたところには信仰はない。

ただ、神(仏)という記号(暗号)を通して、主客を超えたものに対する「意識の開き」をもたらすといふ意味では、この主客の相対世界に属している信仰とは一線を画している信仰といふものもあるのかもしれない。
それをヤスパースは「哲学的信仰」と言っていたのかな。

 

けふの1曲、With or Without You

悟りとは?

覚醒(意識の覚醒)は、主観と客観を超えた何かの認識だが、それを得たからといって、迷ひから抜け出せるわけではない。
迷ひがある限り、悟りではない。

「神よ、だうしたらよいのか?」
これは悟りではない。

迷わなくなることが悟りだが、だうすれば迷わなくなるのか。

思考の中で生きてゐる限り、迷ひはなくならない。
常に「だうしたらよいか」の世界だ。

迷はなくなるためには、思考から抜け出さなければならない。
必要なときに思考は働けばいいが、それ以外は思考の中にゐる必要はない。

思考なく生きること、それが悟りなのだと思ふ。

 

けふの1曲 Hello – Adele Cover for Cello and Viola | Nathan Chan and ThatViolaKid

スウェーデン式

コロナの対処策として国によって違ふやうだ。
多くの国は封鎖(ロックダウン)と外出禁止の措置をとっているが、どこかのニュース記事1ほかの記事)によると、
スウェーデンは、コロナと共に歩む政策をとってゐるといふ。
外出自由だ。お店もオープン。

日本は、折衷的なところ?(ややスウェーデンより?)。

ロックダウン式かスウェーデン式か、どうちが功を奏するか。

早く免疫ができる道が進化の道(生き残りの道)か・・・

 

けふの音楽(前も紹介したか忘れたけれど)、ヘンデルのサラバンド